boofoooohの日記

サッカー/音楽/本/大人になってからのフットサル

寄りそって生きていく

鳥獣戯画の行列待ちがひどすぎて、手塚治虫鳥獣戯画を語る番組観て盛り上がってたのに、気持ちが冷めていく今日この頃です。

そんなに観たい人いるのか。どっからそんなに湧いてくるんだ。ウチのチームなんて全然人が集まらないんだぞ…。ということで今回は私のフットサルチームの話です。

 

'come together' だったかな…。 

 

しばらく前から人が集まらない集まらないと愚痴のように書いて、前回は助っ人問題について書いたりしたんですが、その後チームの主要メンバー2人を欠く事態となり、とうとうリーグから脱退しました。

1人は試合中に骨折、1人は嫁の職場が遠くなり、リーグ戦夜なんですが、小さい子供いるんで夜中の外出が難しくなったためです。

前シーズン3位と、ようやく勝ち方を覚えてきてはいましたが、人のやり繰りが限界だったんで、泣く泣く諦めました。そして、それだけではすまず、チームにとってリーグ戦は唯一の真剣勝負の場かつ活動の中心だったので、この脱退によりチーム存続の危機を迎えることになりました。

もうずっと練習で紅白戦ができなくて、チームの体を成していない状態で、危機的状況にはあったんですけどね。リーグ戦はホントはボールを繋ぎたいのに、助っ人が入ってることもあって、カウンター中心の攻めになり、個人的には勝っても心底喜べないでいました。

そこへ来ての主要メンバーの離脱だったんで、こりゃもうダメだと、リーグを脱退してしまうと、どうにかしないとマズいということで、一大決心をして、よそのチームと合併することにしました。

 

一応やる気と経験のあるメンバー数人いるんで、チーム力アップのために一緒にやりませんかってことで、まだ正式にオファーしてないんですけど、前にも書いた仲良くなったチームの代表者と内々に話しているところです。

そのチームは、毎週土曜午後に体育館使い放題の素晴らしい環境があるんですが、10人集まらないこともあり、ウチのチームから何人か行くとちょうど良かったりして、友好関係を深めていました。

ただ、ワイワイ楽しみながら、ひたすらミニゲームをやってるんで、一緒に練習しましょう!と鼻息荒く近付いたらドン引きするのは間違いないようです。

でも中にはちょっと野心的な、大会出て勝ちたいな的の人も何人かいるんですね。負けず嫌いでつい本気になっちゃうような。もともとそういう人たちに目を付けられて交流するようになったこともあり、月に1回、気合入れてフットサルやる場を作りましょうというオファーを出しても、何人かは賛同してくれるのではないかという算段です。

やっぱりちょっと強いチームとガチでやって、勝つことに勝るものってなかなかないと思うんですよ。そのための練習を、チームは違うとはいえ、一緒にやりませんかと。

一緒にといっても、こちらの人数次第では、むしろ向こうのチームに入れてもらうことになってしまい、そうなると試合に出るときにウチのユニフォームを着てってわけにもいかなくなります。

5〜6人練習に来て、試合に出れるようになるとまだチームも続けられるのですが…。ウチも仲間内で集まったチームですからね。人見知って参加者少なくて、結果として向こうのチームに入るだけになってしまうかもしれません。ほかのチームの一部となるのか力を借りつつ単体で生き残れるのか…。今チーム内で調整してて、落着かない日々を送っています。

 

f:id:boofooooh:20150525044517j:plain

何かに寄りそって…か弱い生き物なんです。(ミギーとなって役に立てるならそれでもいいか…)

 

 

 

回想のブリッジ(下)

さて、前回の続きです。今回は勢い余って解散に至るまでを書きます。

 

f:id:boofooooh:20150418113644j:plain

前回けなした1stアルバムですが、面白いことに歌詞がカタカナで載っていました。何語で歌ってるか分からない、と書きましたが、初期は英語だったんです。多分、そういう声があったのと、日本語で歌えというプレッシャーに反発したのかもしれません。フリッパーズもそうだったんですが、洋楽に強く影響を受けたバンドは、英語で歌ってた頃でした。でも売れないですよね、洋楽好きな層にしか。それと、ネイティブならともかく、フリッパーズも英語がおかしいと指摘されて日本語にしたように、日本のバンドなら日本語で歌えばいいのにと私は思ってました。

友人である小山田圭吾が主宰するレーベルからとはいえ、メジャーからデビューしたのにアマチュア指向だなあ、まあそれも魅力の一つと思っていたんですが、93年の夏、一皮剥けたシングルを出します。

 

 bridge 'waltermelon bikini'

 

これはいい!これまでの良さを保ちつつも、もっと広い層にウケそうなわかりやすさ。バカバカしくもオシャレになってる日本語詞のバランスの良さ。キャッチーなイントロ。後にカジ君が切り開いていく路線ですが、「チャチャ、チャチャチャ」と歌う大友さんに、遂に本気になったと思いました。

カップリング曲も良い出来で、特に「splash」は、自らボーカルを取る清水君のこれまた力作で、ギターソロはブリッジでのベストといってもいいんじゃないでしょうか。レベルが上がった。これからどんな曲を聴かせくれるんだろうと、ワクワクしました。これがピークになるとも知らずに。

 

その年の秋、ホーン隊を入れた法政大学でのライブは、しかし、その「splash」がやけに感傷的に聴こえました。充実しているはずのバンドなのに、なぜか少し寂しさを感じたのは夏が終わったせいだからかなと思ったのですが、このときにはバンドの解体は始まってたんでしょう。

とはいえ、CMタイアップでフランス・ギャルの「夢見るシャンソン人形」をカバーし、一見派手に活動しているようではありました。今さらそれはちょっと…の感はありましたが。続くシングル「salt water taffy」の「spoonful of mind」はなかなか良い曲で、地味ながら堅実なリズムギターを弾いていた大橋君の、曲作りの才能が垣間見えました。

にもかかわらず、ブリッジの活動はそれ以降停滞し始めます。94年の夏にほぼ日本語詞の2ndアルバムを出すんですが、ライブはやってなかったです。アルバムの作詞作曲クレジットからは大友さんの名前が消え、カジ君と大橋君の名前で占められていました。

その2ndは悪くはないがちょっと期待外れ、というのが正直なところでした。いい曲もあるんですが、ちょっと印象薄い曲や、日本語の詞が上手く乗っていないところが気になったりとか。それでも同時期にやったライブでは元気な姿を見せ、すでにフロントマンとなっていたカジ君がMC喋る喋る。シーガル・スクリーミング・キス・ハー・キス・ハーの日暮さんをコーラスに迎え、大いに盛り上がりました。

 

soundcloud.com

ということでそのライブがこれでした。pt1は(上)に。

 

その後は…クリスマスにライブやっただけでしたかね。年が変わり、月日が経ち、その日がやってきました。

 

f:id:boofooooh:20150412124730j:plain

ああやっぱりな、そう思いました。

ラストライブは、長めにやってくれましたが、メンバーの思いがバラバラなのが何となく伝わってきました。清水君のプレーがちょっとやる気なかった気もします。ほかのメンバーは淡々と、涙を見せることもなく、最後は初期の名曲「sweet bells for…」で終わりました。

 

解散はバンドのバランスが崩れたからなのだと思いますが、日本語詞の問題が大きかったかなと思います。大友さんは日本語で書きたくなかったか書けなかったのか。彼女の詞は当時流行っていたカラックスの映画(「motorcycle angel」は「汚れた血」で、「on the bridge」は「ポンヌフ」ですよね)なんかを題材に、恋愛についてのものが多かったと思いますが、それは日本語詞で描く世界ではなかったのかもしれません。そして彼女の曲は英語詞と不可分だったのかもしれません。

彼女は最初ソバージュで、確かギター抱えて歌ってたんですよね。割と初期に髪切って、タンバリン持つ姿になったと思いますが。彼女の地声は歌と違って、低めの落着いた声をしていました。はにかんだような困ったような、なんかいつも口をへの字にしてた印象があるんですが、不思議な魅力のある人でした。

池水さんはCDのジャケットではニコニコしてる姿が多いですが、最初はライブ前にタバコをスパーっと気怠げに吸ってて、バーのママみたいだと思って近寄り難かったです。でも、ライブ後に「デモテープ買ってくれい」と客に声をかける姿を見てから親しみを覚えるようになりました。アンケートやDMのイラストは彼女が描いてたんですよね。

 

f:id:boofooooh:20140316222939j:plain

デモデープはvol.IIIまで。vol.Iを買い逃して大変悔やみました。何が入ってたんだろう。

 

カジ君のベースが最初タカミネのアップライト型のフレットレスベースだったこと、コピーしようとしてずっと見ていた清水君の左手、ヴァイオリン奏者の中西俊博がライブにゲストで出てきたこと、「what goes on」ていうベルベットっぽい曲もやってたけど、スティービー・ワンダーの'love a go go'とかスライ&ファミリーストーンの'running away'とかソウルの曲もやってたこと…。

今回ブリッジのことを書くにあたって、DMとかデモテープとかチラシとかライブを録音したものとか久しぶりに引っ張り出して、色々思い出して、涙が出そうになりました。音楽だけではなく、その音楽と共に過ごした日々が、なのかもしれませんが、今でも心に刺さるバンドです。

 

f:id:boofooooh:20150412131522j:plain

最後のDM。こちらこそ本当にありがとう。

 

良ければこちらも。

 

boofooooh.hatenablog.com

回想のブリッジ(上)

歳をとり、好みが変わっていっても、かつて愛したという事実がいまだ心に刻まれ、消え難い音楽というものがないでしょうか私にはあります。

今一番好きなバンドは?と問われれば、ちょっと悩んで「キリンジかな…」と答えますが、一番好きだったバンドを訊かれれば、

「ブリッジ」

即答です。

どれくらい好きだったかというとですね、そう、ブリッジ…。わが命のともしび、わが肉のほむら。わが罪、わが魂。ブ、リッ、ジ。舌のさきが口蓋を3歩進んで、3歩目で軽く歯に当たらない。都内で行われたライブにはほぼ全て足を運び、後期にはライブが始まると目が潤んでました。そのくらい好きでした。

 

f:id:boofooooh:20150412161601j:plain

左から大友真美(v)大橋伸行(g)黒澤宏子(d)加地秀基(b)池水真由美(k)清水弘貴(g)

 

ブリッジは89年に結成され、95年に解散した日本のバンドです。今年で解散20周年なんですね。カジヒデキのいたバンド、渋谷系フリッパーズギターのフォロワーみたいな語られ方をしますが、いやいやいやいや、浅い、浅い見方ですよ。そういう人たちが「ギタポ」とか言うんです。

とは言いつつも、ブリッジの良さを語るのは難しいです。ライブ行かないと分からないんです。その良さが。なので今さらどうしようもないですが、それでも何とかブリッジの素晴らしさを伝えたい、というのが今回の話です。

 

f:id:boofooooh:20150412130845j:plain

最初に観たライブのアンケート。ライブ毎にアンケート取っていて、それに随分失礼なことを書いていました。ホントにすみません。セットリスト7曲中5曲が1stアルバムに収録。

 

私が初めてブリッジを見たのは、90年の新宿アンティノック、ヒットパレードのライブの前座で出てきたときです。2回目のライブだと言っていました。

ヒットパレードを観に来ていた私にとって、前座に出てきた日本のバンドなどまるで眼中にありませんでした。なぜ日本にはネオアコのバンドがいないんだろうと思いつつも、ロックはイギリス、アメリカが本場で日本のは…と大して知りもしないくせに勝手に日本のバンドはダメだと思っていました。

そのちょっと前はボウイとか、その頃はイカ天のバンドとかが流行っていて、インディーズ系の洋楽を聴く人にとって邦楽とのギャップは大きかったです。そうしたリスナーが寄り集まって、フリッパーズギターやブリッジを生む土壌を作っていたんですが、そんなことには気付いていませんでした。

最初の数曲は聞き流してました。何語で歌ってんだろうとか思ってたんですが、そのうち、あれ、このバンド面白いなと思うようになりました。でもそのときは、何かいいなくらいで、お目当てのヒットパレードより好きになるとは思っていませんでしたが。

 

 bridge 'he, she and i'

 

しかし、2週間後にハウ・メニー・ビーンズ・メイク・ファイブのライブで再会し、その後もヴェルヴェット・クラッシュなんかのインディーポップのバンドの来日ライブ観に行くと、いつも前座をやっていて、気が付くと洋楽バンドと一緒じゃなくてもライブに行くようになってました。

 

f:id:boofooooh:20150412124525g:plain

90年のクリスマスライブのDM。カジ君の電話番号が出てるので下はカットしました。まあ変わってるでしょうけど。DMに自宅の電話番号を載せる時代。しかも一桁少ないし…。

 

f:id:boofooooh:20150412124623g:plain

92年のDM。来るのが楽しみだったDMも、1stアルバム後はお手製イラストじゃなくなって残念でした。

 

私と同じように洋楽をメインに聴いている層から流れてきたファンが結構いたと思いますが、そうした海外のインディーズ系のレア盤を漁っている人たち、普段邦楽には見向きもしない人たちにアピールするものがあったわけです。でも面白いことに、そうしたバンドと親和性はあるものの、違う曲、違う音をしていました。

ブリッジというと、ボーカルの大友さんのちょっと拙い感じのかわいい(というのも気恥ずかしいですが)声と、池水さんの弾くキレのあるアコーディオンが特徴で、タルーラ・ゴッシュにも通じる、野郎には縁遠い、いわゆる「ガーリー」なイメージが強いと思います。

 

 talulah gosh 'talulah gosh'

 

大友さんの作った「room」、「motorcycle angel」は、上記のイメージが当て嵌まるようなところもありますが、タルーラ・ゴッシュの凄いアマチュア感に比べてしっかりしてますよね。ブリッジはメンバー何人かが曲が作れて、作詞作曲入り乱れてるんですが、パンクに毛が生えたような曲(それはそれで好きです)はなくて、今聞いても良いなと思える完成度の高い曲を、初期の頃からみんなで作れたんですよ。彼らもインディーポップ好きだったんでしょうが、そこに留まらないセンスと、志があったと思います。

クレジットを見る限り、初期は大友さんの比重が大きかったですが、ほかのソングライターの清水、カジ、後に加入する大橋の3人も解散後にソロでやってったくらいで、当時から良い曲作ってました。ギターの清水君は「change」のような疾走感のある曲や、後の「splash」や「there're smile」もそうなんですが、メロウかつ熱い曲でまた違う色を加えてました。ロックぽかったですね。私は彼の曲やプレイが大好きでした。

後期には主役となるカジ君も、すでにソロ作と遜色ない「he, she and i」を作っていて、こうした複数の才能のある、個性の違う作り手が協同して曲を作ったことが、海外のインディーズバンドにはないクオリティを生みだし、そういったバンドのファンも自分たちの好きな音楽との共通性を感じながら、そこにない素晴らしさを認めていたんです。こんなバンドが日本にいたのか!こんな近くに。ロリポップソニックを発見した人たちもそう思ったでしょうが、私にとっては彼(女)らが運命のバンドでした。

 

でもですね、ブリッジを特徴付けていたのは、ちょっとドタバタとしたグルーヴで、曲の良さも、このリズムがあったからなんです。

そういったところがCDでは分かりづらいんですよね…。ライブの音は厚みもあって、結構荒削りだったんですよ。それが曲の魅力を引き出していたんです。生で聴いてこそ、それが楽しめたんです。

ライブでは、清水君のギターが一番デカい音がするんですが、彼が非常に上手いんですよ。確か並行してジャズもやってたと思うんですが、きっちりした運指で早めの小難しいフレーズも弾けるし、グルーヴも作れました。

そして、初期の頃は控え目でしたが、カジ君のベースもグルーヴがあって、バンド全体に勢いを与えていました。黒沢さんのドラムがちょっと不安定なんですけど、2人に煽られるように叩いて、これが独特のリズムになってたと思います。それに池水さんのアコーディオンや、大友さんのボーカルが乗っかり、他にはないサウンドになって、それが魅力でした。

だから1stアルバムを聴いたときにはちょっとがっかりしました。小綺麗な音にまとまって、らしくないなと。アレンジもなあ…。ブリッジはライブバンドだった、というより、スタジオ録音したものが魅力を伝えきれてなかったとも言えます。

私が彼らのスタジオ録音で、ライブに近い音だと思ったのは、トラットリアからCDを出す前の、「innocence and peppermints」というコンピレーションに入ってる曲です。でもこの2曲、大人しめの曲なんですよね。

 

bridge 'silly love'

 

しかしですね、他を圧倒するような演奏だったかというとそんなことはなくて、対バンのロッテンハッツにあっさり持ってかれたりとかもしてですね、そうしたとこもまた魅力なんですが、でも、唯一無二のサウンドを響かせ、それはほかでは聴くことができなかったんです。「kiss my thought good-bye」のイントロが鳴り出したとき、「going to the sea, you kiss me」の間奏の間、ああブリッジがいて良かったと、心の底から思っていました。

 

 

ということでまだ書き足らないので続きます!(→回想のブリッジ(下)

 

トラットリアのイベントでのライブがYouTubeで見れるんですが、これもあんま良くないですね。ああ残念…なんとかライブ音源がないだろうか…と思っていたら何かありました。あったんですってば

soundcloud.com

 94年のライブで初期とはまたサウンドが変わってて、録音も良くないんですが、書いたことはある程度分かってもらえるのではないでしょうか。pt2は回想のブリッジ(下)で。(アプリをダウンロードしてねみたいな表示が出ても、右上のバッテン押せば消えてそのまま聴けます。)

寒い戦い フロンターレ−モンテディオ観戦記

完敗でしたね、山形戦。ハイプレスを受けて打つ手なしの90分でした。テレビですけど、今季フロンターレ初観戦で楽しみにしてたのに…。いいとこなしでした。

この試合、少しずつ変化している風間フロンターレの戦い方が、今シーズンはどこまで革命が進行してるのかというのも見たかったんですが、個人的には相手チームの監督が石崎ということで、大変楽しみにしてました。

 

フロンターレが最も強かった時期の監督が関塚だったので忘れられがちですが、石崎こそ、その強いフロンターレの基礎を作った人です。私見ですけど。私が等々力に最も通っていたのがこの頃(J2で安くてゆっくり観れたから)なんで、石崎時代には思い入れがあります。

2000年、初のJ1を散々な成績で降格し、チームは建て直しを余儀なくされ、フロンターレはしばらく低迷期に入ります。この時期に監督となった石崎は、徐々に戦力となる選手を獲得し、ジュニーニョとケンゴが加わった2003年に昇格あと一歩まで迫りますが、勝点1差で及ばず(大分時代から通算3度目)、後任の関塚にチームを託すことになりました。

石崎時代の戦術は、前線からのプレスとショートカウンターで、これは運動量が多すぎて夏場に失速するという問題がありましたが、関塚はディフェンスラインでしっかり守って、ボールを奪ってからはケンゴを舵取り役に、能力の高い外国人選手を中心にイケイケで攻める戦術で成功を収めます。ですが、石崎時代のハードワークからの速い攻めをベースにしているからこその、攻撃的な戦い方だったわけで、その辺が当時のフロンターレの魅力だったと思います。

そのあとはまあ色々あって今の風間に至るわけですが、ショートパスを多用しながら相手を崩していくスタイルに大幅に変わりました。一方、現在石崎が率いる山形は、前線からプレスをかけていく、個々の力が足りない分を運動量でカバーするチームです。戦力からするとフロンターレに分がありますが、それゆえ、かつて率いていたチームとどう戦うのかが見どころ、というか何かやってくれんじゃないかと思ってました。

 

さて、フロンターレは3バックで、中盤のサイドに新戦力となる車屋(去年からいたけど)とエウシーニョを置く新布陣でした。しかし、山形の厳しいプレスにあって、思うように中盤でボールが回りません。

ならばと、ディフェンスラインの裏を狙ったパスを出しますが、いかんせん精度がなく、チャンスが作れません。この試合、ケンゴ絶不調でしたね。マークがキツかったせいもあるし、味方の動き出しも良くなかったのもありますが、特に後半はパスが悉く引っかかってました。

山形の守備ブロックの作り方は見事で、フロンターレアタッキングサードに入る頃にはスペースは殆どなかったです。フロンターレは前線で殆どチャンスが作れませんでした。枠内シュートは何本あったでしょうか。攻めあぐねているうちに、お笑い系だと思ってフリーにしていたキム・ボムヨンに決められ、そのまま流れを変えることができずに試合終了でした。

 

ということでちょっと不甲斐なかったですね。せっかく盛り上がって見始めたのに、終わる頃にはすっかり冷めてました。石崎監督が格上の古巣相手に見事勝利、だったんですが、この日の出来じゃどことやっても苦しいだろと、感慨深くなることもありませんでした。今年のフロンターレどうなの?というより、これで大丈夫かと不安になりました。

まず、サイドからの攻撃がなかったです。中を固められているんだから、サイドにディフェンスを釣り出さないといけないはずですが、時々ドリブルで突っ込むだけで、そういう崩しの意図は見られなかったです。これは山形のサイドが頑張ったこともあると思いますが、それにしても芸がない。そう、何か芸がないなと試合中ずっと思ってました。

3トップの真ん中大久保は偽トップで、自由に中盤に下がってくるんですが、その分プレスを受けて中盤で埋もれてました。山形のディフェンスラインを下げてスペースを作るために、前で張ったり、裏に抜けたりという動きが必要だったと思いますが、そういうのなかったですね。小林もレナトも。動きに連動性がなかったです。

斜めに下がってきてポストプレーをする動きを見せていましたが、そのあとが繋がらない。パスサッカーどこ行ったという感じでした。パスが繋がらないのは山形のプレスだけではなかったと思います。どうも去年の終盤から流れが悪いですよね。

 

まあディスると勝ち出すんで、また次からはガラッと変わるかもしれませんが、それにしても良いとこなかった…。

きっと寒かったせいですよ。今年はW杯もないし、ACLも出ないし、まだモチベーションが上がってないんですよきっと。

 

 f:id:boofooooh:20150323192507j:plain

また怪我しちゃったね。

イーディス・ウォートン「幽霊」を読む

前回、フットサルのリーグ戦で3位になった話を書いたときは風邪かなと思ってたんですけど、その後熱が再び上がってしまい、何かなと思ったら肺炎になってました。
リーグ戦のときには喉が少々痛くて痰が出るくらいだったんですが、雨降って寒かったせいか、次の日忙しい中ブリットニー・パイヴァ観に行っちゃったからか、さらに次の日昼間フットサルやったせいなんですかね…。

肺炎って頭痛くなるんですね。咳はあまり出なくて、そっちでまいりました。幸い入院には至らなかったんですが、またしばらくの自宅療養となってしまい、その間読んだ本を今回ご紹介。

 

f:id:boofooooh:20150316130443j:plain

イーディス・ウォートン「幽霊」

 

イーディス・ウォートンは、20世紀初めに活躍したニューヨーク生まれの作家で、映画にもなった「エイジ・オブ・イノセンス」の作者でもあります。この「幽霊」は、彼女が幽霊を題材に描いた短編をオムニバスにしたもので、この日本版にはオリジナルに2編加えられています。

彼女は幽霊というより幽霊物語が好きなようで、幽霊を見るのではなく、「幽霊を感じる」ことを物語に求め、また、自身の作品に表そうとします。そして、「物語を読んで背筋がぞっとしたら」その物語は役割を果たしたといえると、自ら序文を記しています。

この序文は作品の最後に載ってるんですが、私は少なからず驚きました。だってですね、背筋ぞっとしない話ばっかりなんですよ。

いや、ある意味ぞっとはします。でもそれ幽霊が出てくるとこじゃないんです。序文読むまでは、幽霊物語は振りだけで、本当は生身の人間の悲劇を描きたかったのではと、得心してました。

 

最初の1編は、フランスのブルターニュ地方のお屋敷が舞台。売りに出ているというので友人の勧めで見学に行った男が、不思議な犬の一群に遭い、その犬が幽霊だと聞かされて昔の館主の歴史を調べると…という話。

館には再婚した初老の夫と、若く美しい妻が住んでいたんですが、夫は気難しがりやで容姿もイマイチ。しかし金は持ってるんで色々妻に高価なプレゼントをして気を引こうとします。そして妻は極力家の外に出さない。
妻が寂しがるんで、ある日犬を買ってあげたらこれが大ハマりだったんですが、彼女は犬だけじゃなく、あるきっかけから、近所の若い男ともいい感じになります。
が、それに勘づいた夫がワンちゃんを殺しちゃうんですね。
それからというもの、夫は彼女が飼う犬飼う犬を絞め殺します。そしてある日、とうとう密会の現場を押さえるんですが、何者かに切り裂かれた死体となって発見されます。裁判にかけられた彼女は、かつての飼い犬(幽霊です)が噛み殺したと証言して、狂人として幽閉されてしまい、若い男の方は一度は捕らえられるも家が金持ちで釈放され、修道院に身を落ち着けることになったそうな…。

 

いやこれ若者がやっちゃったんでしょ。奥さんも飼い犬の恨み溜め込んで…というより囚人みたいに囲われたことで憎んでたでしょ。ワンちゃんが化けて出たい気持ちも分かるけど、ワンちゃんは無実ですよ!

ウォートンは、これを現代(といっても20世紀初め)の主人公が、当時(1600年代)の裁判記録を読み解くかたちで読者に語っていきます。良くある人間関係の筋書きに、不可解な死と犬の幽霊を持ってくることで、本当は何が起こったのだろうかと読者に考えさせます。初老の夫の劣等感や嫉妬からくる歪んだ憎しみ、不幸な結婚生活を強いられた若妻の思いについて、後者はまだまだ女性が不自由だったウォートンの時代に通じるものとして、読者に伝えたかったのではないかと、そんなことを考えました。

語り手は男のときもありますが、幽霊話の中心にいるのは全て女性なので、そんなことを思いながら読んでいったらあの序文に行き着いたというわけです。

 

でもですね、明らかに、不思議なことがあって怖いでしょうっていってる話、ないですよ。人間が心の底に抱いている、人間関係での恐れや憎しみを描いているようにしか思えないです。

小間使いの女の子の幽霊が出てくる話があるんですが、彼女は、主人公の現役の小間使いの子に、女主人の不貞の相手の家への道案内をし、何か伝えようとします。幽霊の彼女とその不貞には何かしら関係があり、何らかの役割があったように暗示されますが、彼女の死因も含めて、全てがはっきりしません。ただ、怖くはないんです。周りが生前の彼女を怖がっている、というか、いなかったことにしようとしているんです。

あえていうなら、人間の直視しづらい現実や感情とセットになったものとして幽霊は描かれています。それに背筋がぞっとするかどうかは人それぞれだと思いますが。

 

あの序文には、最近幽霊話が通じないという話が出ていて、その理由にラジオや映画による想像力の欠如を上げていました。いわく、昔は苦労して時間をかけて吸収しなければならなかったものが、今は想像力の栄養となるものが調理されて出てくると。

そういう意味で読み応えのある作品集として、楽しめるんじゃないでしょうか。少なくとも私はそうでした。ゴシックな雰囲気を出すのは上手いし、ここ伏線なのかなあとあちらこちらが気になります。ぞっとしなくても、本当は何があったんだろうと、登場人物たちの背景や胸中に思いを馳せると、何度か読み返しても飽きませんよ。

 

追伸

日本版で加えた2編がこれも良い話なんですが、幽霊が出てこない!なぜこの作品集に入れたのか聞いてみたいです。

 

 shelleyan orphan 'shatter' 雰囲気で。

勝てばいいのか

Jリーグ開幕!の影に隠れてしまってるフットサルPUMACUPですが、さらに市井の人の目に触れることもなく私のチームは細々とリーグ戦を戦っております。今回は久々にフットサルのお話です。

 

f:id:boofooooh:20150311163712j:plain

2013のフウガと名古屋の決勝戦が面白かったなあ。緊迫した良い試合が観れますよ。

 

地域や都道府県単位のリーグ戦とは別に、民間の団体やコートが主催しているリーグ戦がありまして、私のチームもしばらく前からそんなリーグの1つに参加しています。

きっかけは、たまたま主催者のサイトを見たからなんですけど、エンジョイリーグの下に、新たにカテゴリー作るっていうんですね。で、参考にと貼られてる動画が、親しみを覚えるようなおっさんが必死にボールを追ってるような感じだったんで、これはいける、これはいい!と思い参加したんですが、やられましたよ。実際集まったのは若くて上手いヤツらばっかりで。

主催者も申し訳なさそうに、まだレベル高いですかね…なんて言ってたんですが、2シーズン目に入ってチーム数が増え、2部制になり、2部リーグでは何とか試合になりました。ですが、そのうちそこでも勝てなくなり、笑顔が減って人も減り…となったところで窮余の策に出ます。助っ人の参加です。

 

助っ人というと、サッカーとかのプロの世界だと新たに加入した外国人選手のことを指しますが、アマチュアだと、人が足りないとかの理由で、その場限りで試合に出てもらう人のことをいいます。しかし、単に人数不足で呼ぶというより、戦力アップの期待を込められてるのは一緒でして、大抵上手い人を呼んできます。

 これってどう思いますか?私は否定的でしたね。ズルいじゃないですか。その試合に勝つためだけに参加してるわけですよね。よそじゃどうしようと構いませんが、ウチとの試合にだけは出すんじゃない。そう思ってました。

戦術面でも助っ人頼りの展開になって、違うチームになっちゃうじゃないですか。そんなんでいいのか…。しかし、負けて人が減ってまた負けて人が減っての悪循環。夢を見る前に現実を見よう。助っ人解禁です。

 

1人はメンバーの知合いで、サッカー相当上手くてフットサルもやってるけど、チームが活動停止になってて球蹴りに飢えてる同年代。もう1人はメンバーの息子で現役サッカー部の高校生。この彼は、練習で人が足りないときにもお父さんと一緒に来てくれる、今どき珍しい親孝行な良い子です。

持つべきものは、サッカーの上手い知合いとサッカーの上手い孝行息子。精度が高いプレーでボールが繋がり、相手からのボール奪取も上手いんで、展開がすごく楽になりました。不思議なもので1回勝ち出すと自信がついてくるんでしょうか、助っ人いないときでも勝てるようになり、1部に昇格。最初のシーズンは1勝しかできず厳しかったですが(脱退チームが出たためかなぜか降格せず)、上手い新人がチームに入ってきたこともあり、今シーズンは6チーム中3位で終えることができました。

2部の底辺にいたのに、この変化。最も今シーズンは、相手チームの遅刻で不戦勝とか相手1人少ないとかあって、大分ラッキーだったんですが…。でも負けてるときよりチームの雰囲気は俄然良いですよ。最後の試合は4位チームと3位を争う直接対決だったんですが、緊迫した展開の末、見事勝つことができました。

 

助っ人も準レギュラーと化しているので、もう助っ人とはいわないのかもしれないですし、レンタル移籍と考えればいいのかな、などと考えることもありますが、チームで練習して強くなって…というプロセスを大切にしたいんですよね。そんなことよりも、助っ人が入った方が余程効果的というのは、なかなか辛い現実ではあります。

勝てばいいのかと、疑問は湧いてきますが、勝てないとどうしようもないですからね。続けるのがしんどいです。それは身に染みました。せめて練習に人が集まるようにしたいです。ですが、私のチームは6年目に入るので、ここからみんなのモチベーションを上げていくのは非常に難しい気がします。ああフットサル好きな新人がいっぱい入ってこないかなと思う、まだ肌寒い3月の夕べです。

 

roger nichols and the small circle of friends 'with a little help of my friend' 意味が近いのは'help'の方かと思いましたがあまりにベタなのでこちらを。

 

じゃギターポップて何だ

昨年は1年間ひたすら毎週ブログを更新していたんですが、今年になってもっとゆっくりやるかと思っていたらあっという間に1月経ちました。それでいざ書こうと思っても書き方忘れちゃって、ネタをボツにしたりと、続けるってのは大事だなと思った次第です。

 最近、ひさびさに「ギタポ」という言葉を目にし、そういえばネオアコのこと書いたときにギターポップのことも書きたかったんだよなと思い出したんで、1箇月ぶりの更新のお題はギターポップです。

 

ネオアコという音楽ジャンルはないというのが前回の話(→ネオアコって何だ )だったんですが、パンク・ニューウェイブ以降に出てきた80年代のバンドに対し、もうちょっと名は体を表すような名前はないのかと、いつの間にか広まったのが「ギターポップ」です。

「アコースティック」ですからね。エレキギターをジャカジャカ鳴らしてるようなバンドたち、フラー!やチェスターフィールズ、クリエイションから出てたバンドなんかはちょっと違うだろと思うわけです。

 

hurrah! 'the sun shines here' ルックスが良ければもっと売れてたんだろうな…。

 

 chesterfields 'ask johnny dee' これぞジャングリー。チェスターフィールズのシングルに外れなし。
 

「アコースティック」は生音という意味を遥かに超え、バンドの姿勢や音楽性を指していたのだと思います。だからネオアコという言葉も生き残ったんでしょうが、実際にアコースティックギターを多用していたアズテック・カメラやベン・ワットなんかもいて、そのイメージでいると、やっぱり違和感があります。年代的に80年代中期に出回った言葉なんで、それ以降のバンドをネオアコと呼ぶのをためらう感じもありました。

アコースティックじゃないこのバンドたちを何と呼ぶんだ?そんなことをぼんやり考えていた私の目に飛び込んできたのが「ギターポップ」でした。輸入盤屋(確かVINYLだったと思いますが…)のレコードとレコードの間に挟んでる、ジャンル分けの仕切りに書いてあって、なるほどとポンと手を打ちました。

確かに、確かにギターポップ。まんまじゃないか。もやもやを吹き飛ばす簡潔なフレーズ。今日からお前らはギターポップだと、自宅にあるハウスマーティンズのレコードを思い浮かべました。

housemartins 'happy hour' 今になって見直すとPDヒートンの動きがダサすぎることに気づく。

 

パンクからの流れのシンプルなギターサウンドと、メロディアスな曲調。ネオアコは概念的でしたが、こちらはそのものズバリでした。他の店では見かけなかったですが、フリッパーズ・ギターがシングルをアルバムと別バージョンで出すときに使ったこともあってか、90年代中期にはすっかり広まっていました。「メロディポップ」と呼ぶ動きもあったんですが、フリッパーズの2人が気に入らなかったせいか、すぐ消えちゃいましたね。

がしかし。

誰が始めたのか分かりませんが、「ギタポ」と略称しているのを見かけて、あん?となりました。こんな短い言葉をなぜ略す!というのと、もとの言葉が分かんないだろ!というのもありましたが、見た目も響きもセンスがないじゃないですか。

それはともかく、ネオアコと呼ばれていたものの多くが「ギターポップ」と呼ばれるようになり、「ネオアコギターポップ」と、分からんけどどっちかだろ、みたいな併記をされるようになりました。

そもそも元祖のオレンジジュース(オレジュと略すのもセンスないと思います。ストーンズのファンだったらロリストとか言ってる奴がいたら殴りたくなりませんか?)からしてギターがギュワギュワいってましたからね。彼らの後から出てきた同郷のプライマル・スクリームパステルズなんかを集めた「C86」という’86年にイギリスの複数のインディーズ・レーベルをまたがってで出たコンピレーション・アルバムがあるんですが、ここに収められたバンドを中心にして、似たようなサウンドのバンドは「ギターポップ」で、アズテック・カメラやEBTGみたいなちょっとメジャー感(お金のかかった音づくりをしている感じ)のある、オシャレなバンドは「ギターポップ」とは呼ばないように思います。

 

mighty mighty 'throwaway' 最近、初めて彼らの写真を見て吃驚しました。

 

bodines 'therese' 'c86'から。ボディーンズは格好良かったな。

 

人によっては「C86」や、グラスゴーパステルズフォロワーのバンドを「アノラック」と、「ギターポップ」と呼び分けたりするんでまた面倒くさかったりしますが、本国ではみんなまとめて「インディーポップ」ですからね。私は「ギタポ」事件以来インディーポップと呼んでます。

アナログシングルを500枚限定で出すサラ・レコード(公式サイトがまだある!)というレーベルがあったんですが、ここのバンドがギターポップとは呼べないような儚さがあって、これはむしろネオアコといった方が良いのでは…と今となってはどうでも良いことに悩んだりしてましたが、改めて聴くとみんな良いですね。

80年代終わりから90年代初頭は、良いインディーポップのバンドが出てきて、日本にもレコードがたくさん入ってきました。来日して小さなライブハウスで演ったバンドもいました。クリエイション、サラ、サブウェイなんかのレーベルや、もっと小さな聞いたことないようなレーベルのも、輸入盤屋でオススメされ、雑誌でもレビューされてました。それがその後のネオアコ・ブームの下地になったと思います。みんな(といっても少数の愛好家ですが)競うようにこの手のバンドを探していました。

今はそうしたバンドの動画が結構上がっているので、レコードを出す手間が省けて便利に楽しめますね。

 

st christopher 'you deserve more than a maybe' 500枚全部日本に来てたと思います。

 

 sandkings 'rain' これも私の中ではネオアコです。名曲。B面がまた最高。

 

 hit parade 'my favourite girl' 川崎駅からチッタまでジュリアンと歩いたなあ。元気かなあ。

 

いくらでも続けられます(楽しい!)がこのへんで。

 

f:id:boofooooh:20140427210345j:plain ネオアコについてはこちら(→ネオアコって何だ 

 

 

f:id:boofooooh:20150412161601j:plain ヒットパレードのライブで出会ったブリッジについてです。良ければどうぞ。さあどうぞ。(→回想のブリッジ(上) (下)