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boofoooohの日記

サッカー/音楽/本/大人になってからのフットサル

ブリッジ再結成に寄せて

音楽

ブリッジ再結成。

 

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カジ君の公式サイトから。

 

2月25日の深夜からやけにブログへのアクセスが増えていて、おかしいなと思っていたんですが、翌日夕方になっても衰えない勢いに何かあったか?と思ってツイッターを検索してみたら、「ブリッジ」って入れただけで「ブリッジ 再結成」って出て、前日にシークレットライブを演って、4月には1夜限りの再結成ライブをやるということじゃないですか。

回想のブリッジで、彼らとそのライブについて熱い想いを書いたのが2年前。まさかその日が来るとは夢にも思ってませんでしたし、当初はアクセスが全然なくて、ちょこちょこっとあった反響に、ああまだ好きな人がいるんだなくらいにしか思ってませんでした。

1年前にリンクを貼ったライブ音源へのアクセスも、平均すると2日に1回くらいでしたかねえ。それが、前売りチケット瞬殺だなんて…。

ブリッジのライブ、チケット手に入らなかったなんて、トラットリア・ナイトのときくらいしかないですよ。チケットを買えなかった人のツイートを見て、どこに、どこにその需要があったんだっつーか私だってブログのアクセス探らなかったら気づかなかったかもしれないのに、突然の再結成に即反応する人、どこにいたんだ…。

ブリッジ愛は誰にも負けないと思っていたのに、ひょっとしたら平均よりちょっと下くらいなのか?忘れられないように世間に刻みつけようと思って書いたのに、全然忘れてないじゃん…と悲しいやら嬉しいやら。

 

ともかく、ブリッジの魅力はライブにありと断言した身としては、CDでしか体験してない人にそれを分かっていただく素晴らしい機会だと思っています。ていうかそうあってほしい。インスタで見れるシークレットライブの動画からすると変わってなさそうだし大丈夫かな。

今回行けない人は残念ですけど、そういえば解散するときに、ライブをビデオで撮ってた人、映像くださいって言ってたけど、集まったんでしょうか。それあるんなら是非商品化してほしいですね。

 

当日はどんな人達が来るのか、それも楽しみです。あーあの人何か覚えてるわとか、お互い思ったりするんでしょうか。それとも追体験の人が多いんでしょうか。まあ…生きてて良かったです。

 

f:id:boofooooh:20140427210345j:plain よければこちらも(→ネオアコって何だ 

「この世界の片隅に」を観て読む

映画

昨年末、映画「この世界の片隅に」が凄い話題でしたね。
ネットに溢れる絶賛の声に押されて、私もしばらく前に観てきました。

今年1番とかもう何回観たとか、とにかく感動したみたいな感想と、片渕監督のリサーチの徹底ぶりが話題になってて、なんかこう、その日ご飯が食べられなくなるくらいの、凄い衝撃を受けるんだろうと思って、ビクビクしながら観に行きました。

で、どうだったかというと、大丈夫でした。
水餃子や紹興酒を美味しくいただけました。

美味しく食べられたのはいいんですけど、その分モヤモヤしまして、観終わった後、即原作買いました。いや、良かったけどそんなには…俺、分からなかったのか?と不安になったんですね。

原作を読んで、勘違いに気付いたり、意味が分からなかったシーンが理解できたりしましたが、映画自体の感想はそんなに変わるものではありませんでした。

それよりも、原作と映画の違いから、この映画の意図が感じられまして、それについて書いてる人をあまり見かけないんで、そのことを書きますね。

 

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 この世界の片隅にこうの史代 映画はすずの心象と現実が区別しづらくて混乱しました。

 

原作と映画の違いの一つとして、主人公すずの義姉、徑子がかなりキツいんですよ。原作だともっと柔らかい。原作の浦野家はもっとほんわかしてるんですよね。映画はそうした柔らかいシーンをとっぱらって、凄い嫌ってるかのように描いてる。

で、なんで辛く当たってたかというと、徑子とすずが和解するシーンで徑子が明かすんですが、自分は辛い目にあってるけど自分の道を選んで生きてるから不幸ではない。「そのてん周りの言いなりに知らん家にヨメに来て」「言いなりに働いて」「あんたの人生はさぞやつまらんじゃろと思うわ」「じゃけえいつでも往にゃあええと思うとった」

徑子は好きな男と一緒になり、夫に先立たれても子を育て、自活するだけのバイタリティがあります。独身時代はモガ(ググれ)という設定で、当時としては珍しい自立した女性なんですね。

一方、すずは突然誰かも分からぬような男の嫁に出され、嫁ぎ先では義母は脚が悪くて家事ができず、昨日まで全然知らなかった家の家事を1人でやらなきゃいけなくなります。

 

しかも夫にはほかに好きな女がいる。映画ではあまり描かれなかった遊女のリンですが、すずの夫周作は彼女が好きだったんだけど、遊女だったんで結婚しなかったんですね。すずとの結婚式で拳を握ったまま祝膳に手をつけなかったのはそういうわけだったんですが、すずは後にそれに気付いてしまいます。

すずと周作の初夜は原作が繊細に描いてるんですが(行為じゃないよ)、嫁入りが決まったときに、祖母が初夜の儀式を教えるんですよ。なんのこっちゃか分からず理由を問うすずに、厳粛に答えるんですね「なんでもじゃ」。ドン引きするすず。

素性も分からぬ男でも、周りが決めたら結婚して、セックス拒否できなかったんですよ昔は。原作は初夜のあと朝を迎えたすずの、周作の寝顔と対照的な複雑な表情と、早速家事に取りかかる姿を淡々と描いています。

 

いや過酷ですよね、当時の女性は。それで周作がねえ、こいつダメですよ。そんなんでもらった嫁が姉にいびられてもかばわないし。優しい分タチが悪い。

その後爆弾で右手と仲良しの姪(徑子の子)を失ってしまったすずが、こんな家に居たい訳が無い。

映画では浦野家に焼夷弾が落ちたときに、すずはしばらく何もせずたたずみます。原作だと、その前段のシーンで「この家はまだ焼けない」というモノローグが入りますが、その前話での壊れれば実家に帰れると思ったことを受けてのことで、映画のたたずみ方は、それ以上に、家自体に対する憎しみが感じ取れました。

すずは葛藤の末、意を決して火を消しますが、妹に誘われたことをきっかけに、実家に帰ることを決意します。周作は引き留めますが、彼の言葉は響きません。

 

この後、前述した徑子とのシーンになるんですが、彼女は「ここがイヤになったらね」と続けます。そして、愛娘を失った自分に、すずが必要であることを告げます。その上で、いやにならない限り居場所はあるから、くだらん気兼ねをせずに「自分で決め」と言うんですね。

映画は、より彼女の行動をキツく描くことで、彼女の考えを際立たせ、その気高さを強調したかったのではないでしょうか。

原作を読むと、お義母さんは終始すずに対して良いフォローしてんですよ。徑子は厳しいですが、母娘2人は、当時の女性を取り巻く厳しい状況に対峙し、すずにそれぞれの生き方を示しながら、共に生きていたわけです。「この世界の片隅」とは、色んな捉え方ができると思いますが、身寄りがなく、拾われて遊女になったリンも含めて、男優先の社会の中で、女性が支え合って暮らしているところなんだと、この映画はいっているんだと思いました。

 

ということで、すずが生きていく姿に感動しながらも、男としてはなんというか申し訳ない気持ちになってるんですが、みんな絶賛しかしてないんだよな。やっぱ違ってるのかな…。

 

コトリンゴの音楽良かったです。

ほしいものはたくさんある

音楽

あけましておめでとうございます。
ひさびさですね。毎年更新回数が減ってますが、今年もよろしくお願いします。

 ひさびさなんで、ざっと去年買ったCDのことなんか書こうかと思います。

 

 lianne laHavas

名前は見かけて動画も観たことあったんですが、この動画観て素晴らしさに気付いて2012年に出たファースト・アルバム'is your love big enough?'を購入。音も演奏も歌もとても良かったです。才能ありますねこの人。最初の1音で引き込まれます。
このtiny desk concertシリーズは大変いいですね。ベテランから最近のバンドまで、ごっちゃまぜに出てくるとこがいいです。いくつも気に入ったバンドがありましたが、買ったのは次のこれ。

 

 monsieur periné

コロンビア出身でなんでジプシー音楽やってるのかわかりませんが、ファーストアルバム'hecho a mano'を聴く限り、スタジオアルバムよりライブの方が良さそうです。いくつか動画観たけどヴォーカルの彼女の服がいつもかわいい。

 

 dorothy ashby 'round midnight' 

ドロシー・アシュビーは、数少ないジャズのハープ奏者で、ヒップホップ界隈から再評価されたこともあったようですが、全然知らなかったです。ジャズ・ハープってどうなんだ!?と興味をそそられましたが、熱演が光るけど、知らずに聴くとガットギターみたいに聴こえてしまう損な聴こえ方をする'hipp harp'より、この曲が入ってる晩年のソロ作を買いました。残念ながら中古で残ってた1枚を私が買っちゃったんで、入手難しいかも。

 

 captain beefheart & his magic band 'further than we've gone'

キャプテン・ビーフハート1枚も持ってないけど、ジャケットが気に入って聴いたら意外に聴きやすくて、引越しも落着いたころ購入。RCに似た曲あったよな。

 

jb lenoir 'down in mississippi'

物憂げな眼差しに誘われるようにクリックしたら、どこかちょっと今まで聴いたのとは違う弾き語りブルース。J.B.ルノアーは38歳で亡くなりましたが、この作品は晩年のもので、同じスタイルの'alabama blues'と一緒に'vietnam blues' という2in1のCDで聴けます。

ほかにもありますがこの辺で。

 

バタバタした年末を乗り越え、元旦はさすがにゆっくり過ごそうと、朝から燗酒を飲みながらふとテレビを点けると、エレカシの去年の新春ライブがやってました。もう中盤でしたが、名作「生活」からの曲をやったので、CDを取り出して歌詞カードを読み込んで、ああ、エレカシっていいよなと思いながらふと気付いたのは、なんか最近気に入ったものって、こうやって向こうから情報がやってきて、自分で探すことなくなったなあと。いや、新しく気に入ったものはできるんですけど、それがもう人に勧められたものではないんじゃないかと。

上記で紹介しているのは全てYouTubeのおすすめにあったんですよ。

若い時分などは、信頼できる雑誌のレビュアーやラジオのDJ、レコード屋のポップなんかで紹介されたものを、ある意味勉強するような気持ちで、未知の音楽に入っていったものですが、最近はそういうことなくなりましたねえ。ツイッターでフォローしているミュージシャンがツイートしてるのを聴いて、「おっ」となったりもしますが、YouTubeでおすすめされて、試しにクリックしてみていいなと思ったらアマゾンで探して手頃な値段だったら買うというのを繰り返しています。

自宅でちょっと何かする間、YouTubeで適当にBGM替わりになるものをかけるのが日課になってるんですが、結構良いとこ突いてきますよね、YouTube。視聴履歴から淡々と関連づけてある曲を紹介してるんだと思いますが。溢れ出てくる過去現在のミュージシャン達を、へーと思いながら聴いてます。で、こんなのもっといくらでもあるんだろうなと。

圧倒的な情報量の中で生活していて、取捨選択の時代などといわれますけど、もう自分で選んでる感じじゃないんですよね。自分好みの音楽のストックは世の中に莫大にあって、これもそうでしょ、これもでしょとガンガン渡されてるような。便利になったというより、何か違和感を感じます。

溜まってる録画した番組や、読みたい本、観たい映画は増えるばかり。以前は良いものは観なきゃいけない、聴かなきゃいけないと思ってましたが、もうそんなことは考えない方がいいと思うお正月です。それとももっと新しい何かを探すのが良いのか。怖い怖い。

 

ということで。清水ミチコやっぱり消えてたから本家を。

新しい日 新しい声 堀込泰行「One」を聴く

音楽

10の次は1。脱退前の最後のキリンジのアルバムは「Ten」でしたが、待望のオリジナルアルバムのタイトルは「One」でした。私は地味ながら良曲の多い「Ten」大好きだったので、「11」「ネオ」とどんどん姿を変えていくKIRINJIに、それはそれで楽しみつつも、ああいうのはもうないのかなあと思っていたら、堀込泰行のこのアルバムは、地味だからこそ曲の良さが生きるような、そんな作品でした。

 

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グランド・オダリスクは何か意味があるに違いない、と思って色々調べてたんですけど、ただのデザイナーの趣味だったもよう…。

 

自身による全曲解説がオフィシャルで出てましたが、1曲目「New Day」は「スティービー・ワンダードナルド・フェイゲンと90年代以降のR&Bが混ざったような曲調にしようと思っ」たそうで、曲調は確かにそうなんですが、2人の作品にあるような緻密さはないです。地味と書きましたが、粗いといった方がいいかもしれません。

アルバムはタイトなスケジュールで制作されたそうで、ホーンが入ったり、冨田恵一が参加している曲もありますが、キリンジのような作り込んだ感じはありません。ライブでそのままやってもいいんだろうなって曲ばかりです。

オフィシャルのインタビューで語っていましたが、脱退後の方向性として、歌手として行くのか、バンドでやってくのか、周りからは歌うのに専念するよう推されたそうなんですが、「自分で曲を書いて歌詞を書いて自分で歌って、サウンドのこともあれこれやってっていう、それら一連をやりながらワクワクしている様子がアルバムとか楽曲に閉じ込められればいいなと思って」制作からかかわっていくことにこだわったそうです。

まあスタッフのいうことも分かる気がしますけどねえ。希代のソングライターと組んでたのを1人でやってくことにしたわけだし、なにより歌い手としての評価が高いわけですから。馬の骨の制作もかなり苦しんだそうだし。こいつ自分でやるって言ってるけど大丈夫か?ていうかそれなら早く曲書けよ!というのをオブラートに包んで説得してたんでしょうね。

前作のカバーアルバムはリハビリだと思ってましたが、スタッフの思惑と本人の意志との軋轢の中から生まれたのかもしれません。しかし、ようやく本気を出した堀込泰行のアルバムは、等身大でありながら、それが魅力的な作品となりました。

 

そのバンドは、本人によると「エルヴィス・コステロみたいに、シンガー・ソングライターだけどバンドマンみたいな佇まいが良いなあって前から思って」最終的にはアトラクションズを目指しているそうで、「WahWahWah」はいかにもな感じになっています。ちょっとリズムが軽い気もしますが。全体的に70年代的なサウンドになっていますが、コステロ調に限らず、曲調、アレンジはバラエティに富んでます。2曲目「shiny」はニッキー・ホプキンスの「ウェイティング・フォー・ザ・バンド」を思い起こさせるイントロで始まるアレンジが見事に曲を盛り上げ、感動的な出来映えとなっています。次の「swamp」改め「walz」のスローな3拍子の曲から先ほどの「WahWahWah」に繋がるんですが、この辺は聴けば聴く程いいですね。

 

nicky hopkins 'waiting for the band' この曲大好きなんですよ。

 

次の「ブランド・ニュー・デイ」は以前に配信したシングルですが、「どうでもいいさ」で始まるんですね。ほかにも「それがどうした」(「WahWahWah」)や「New Day 何かが少し違う」(「New Day」)なんて始まったりする、制作時の心境が伺えるような曲があります。「さよならテディベア」は本人もインタビューで語っていたとおり、脱退後にありがたいお説教をくれた人達に対する皮肉そのまんまです。

 

最後の「僕らのかたち」は、ストリングス風のアレンジがされた優しげな曲ですが、それから想起される曲で映えるだろう彼の歌声は、しかし、今までのようには響きません。

アルバム聴いて一番驚いたことなんですが、歌い方が変わりましたよね。声が、地声というか喋るときの声に近い。私は堀込泰行というと、キリンジの「for beautiful human life」のラスト2曲、「カウガール」「スイートソウル」のどちらも彼の書いた、彼の歌声が胸を打つ曲に、その才能の凄さを感じていて、こういう路線で行ってほしいなと思っていました。

だもんで1曲目から違和感があって、一瞬、あのチープなシンセドラムの音で始まる前作の衝撃が甦ったくらいでした。でも、聴き進めていくうちに、この声でいいんだと思いました。今、彼の書く曲にはこちらの方が合っていると思います。この声が地味とか粗いとか感じた一番の原因かもしれないんですが、アトラクションズを目指すならむしろこちらでしょう。

 

elvis costello and the attractions 'radio radio' 

 

派手さがない分何度も聴けるので、曲の良さもじわじわと分かるようになって、私は大変気に入りました。おかげで、そのサウンドと相俟って、まるで昔から持ってるアルバムのような錯覚に陥ります。上述したような生みの苦しみも感じられ、味わい深い作品です。

バンドは、伊藤隆博と北山ゆう子に沖山優司でいくんでしょうか。KIRINJIも腕っこきですが、こちらも豪華なんで、良い作品をこれからも出していくんでしょう。進め、アスファルトのフロンティア。

 このアルバムは、KIRINJIとは別の意味でライブが楽しみな気がします。アルバムよりもっと良い演奏が聴けるんじゃないかと。今度のライブ楽しみと思いつつ、12月のその時期、しかも月曜日、無理、な状態なので、来年、楽しみにしています。

 

はみ出すKIRINJI「ネオ」を聴く

音楽

選挙やらオリンピックやらでバタバタしてる世の中ですが、ふと気が付くと暑さが和らいでいるここ数日ですね。私は4月から職場が変わってしまい、自分の時間がなかなか作れず、いまだ落着かない日々を送っています。

フットサルのトレーニングに割く時間が減り、こうしてブログを書く時間も、というよりブログの題材について考える余裕がなくなってしまい、書きたいことは幾つかあったんですが、ズルズル流されて消えてしまい、いかんなあと思う毎週末です。

 

ということで待望のKIRINJIの新譜も今日初めてじっくり聴きました。

前作は個人的にオバQで盛り上がった(→夏の終わりとオバQ KIRINJI「11」を聴く )んですが、今作はそんな軽めの遊び心は雲散霧消するようなトラックで始まります。

 

意外に好評みたいですね。しかしライムスターとやるならかせきさいだあとやればいいのに。

 

ライムスターを迎えた1曲目は、ラップなんだ、と驚いて、堀込高樹のシャウト部分が何て言ってんだと歌詞を読んでへえとなって思ったのは、正直ちょっとですね、情報量が多すぎるんじゃないかと。もっとこう、ラブホテル探してウロウロしてるおかしさをメインにするのがこれまでだったと思うんですけど、ラブホテル探してウロウロしてたらおかしくなっちゃったみたいな弾けっぷりで。
千ヶ崎学のベースがすごくカッコ良くて、バックの演奏も凄くて、それだけでもお腹いっぱいなんですが、ちょっと呆然として聴いてました。

そして2曲目「Mr. BOOGIEMAN」は弓木英梨乃がボーカルの昭和アイドル曲風っていうか「ナンノ?」(平成生まれにはわからんだろうな)って思って、さらに呆然としました。

 

参考に載せときますね。前のが消えてたので改めてアイドル時代です。

 

アイドル歌謡口ロロも「ファンファーレ」でやってましたが、やっぱり馴染めないですね…。が、あれか!ブギーマンっておばけのことか、いうこときかない子供を脅すときに使う。そのブギーマンに突っ立てないで踊ろうって呼びかけてるってのは、これ聴いて違和感を覚えてる旧来リスナーというか、今までみたいなキリンジ聴かせろっていうプレッシャーに対するメッセージなのかもしれないですね。それをアイドル歌謡でやるっていうとこがまたヒネてるというか…。

3曲目からは割りといつものKIRINJI。といいつつ前作は全曲高樹作だったのが、ダブ風の「失踪」は千ヶ崎学との、ブラジル風「日々是観光」はコトリンゴとの共作です。最初、もっとメンバーの曲やるんじゃないかと思ってたのが、ようやく始まった感じで嬉しいです。2曲とも良い曲です。

恐らく従来からのファンに受けが良さそうなのは、「ネンネコ」と「絶対に晴れて欲しい日」でしょう。「ネンネコ」はシンプルな歌詞がとても良くて、内容も今の堀込高樹の歌にとても合ってます。私はこれが一番気に入りました。曲調としては正反対なカリプソ風「絶対に晴れて欲しい日」は晴れを願ってロケットを飛ばせという男の歌ですが、「個別的自衛権」なんて言葉が歌詞に登場して、これも彼らしい変な曲。

最後を飾る「真夏のサーガ」の朗々とした曲調が頭にあったんで、かなり予想を裏切られました。「11」は普通に良い曲が並んでいる感じでしたが、そこには留まらないで、幅を広げようと着々と手を打ってるようですね。試行錯誤でかまわないんで、色んな曲を作ってくれればと私は思います。旧来ファンとしては少々付いてくのが大変な気もしますが。

きっとライブではアレンジをいじったり、楽しい感じになるのでは。一聴して思ったのも、ライブでの盛り上がりを意識してるんじゃないかなということでした。ライブでは突っ立ってる系の、できれば座って聴きたい身としてはツラいですが。平日は当分行けそうにないし…。家でじっくり聴いても楽しめる作風は変わらないでもらいたいです。

 

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都知事選に落ちた人がいますね…。ちょっとサッカーの監督もしてたような。

老人とサル 

フットサル

昨日、久々に都心のあちこちに出かけたんですが、歩いていると、行き交う人々が記憶にある光景と違っていて、ハタと全国で高齢者人口が子供人口を上回ったという最近のニュースを思い出しました。

目当ての店がある町並みは、何処にどんな店があるかを覚えていて、無事に残っているかとか新しくできた店はどんなかな、などとキョロキョロしながら歩くんですが、これからは高齢者相手の商売だなと、ひとりごちました。

 

通常、高齢者というと65歳以上ですが、フットサルはそれより20歳若くてもなかなかキツいスポーツです。今ちょうど私がその辺で、チームのコアなメンバーも続々と40の大台を超えてきました。そして、ふと気が付くと最近35歳とか40歳以上の年齢制限をした大会を以前より見かけるようになりました。

少子化を考えると当たり前の話かもしれないですが、おっさん(おばさん)頑張ってるなあと感心します。ランニングブームは衰えないし、私がときどき練習に使ってるデカい芝生の広場も、少年サッカーに紛れてチョイ上の先輩方が男女集まってタッチフットやってたりと、身体を動かす中高年が増えてるなと肌で感じています。

せいぜい頑張って50歳くらいかな…なんて考えていましたが、ひょっとしてまだイケるのかと思い直すようになってきました。チーム作って本格的にやりだしたのは40の歳からなんで、子供の頃からサッカーやってた人との基本技術の差を日々痛感してる身です。あれができるようになりたい、これができるようになりたいとやってる個人練習にやや未練がましさを感じてましたが、前向きに取り組めそうです。

 

実は、しばらく前から一緒にやってるチームに20代の若者が続々と加入したり、都大会で結構いいとこまでいった30代前半の人が別チームから参加したりと、刺激を受けるというより刺激が強過ぎて痛い目に遭うことが増えてまして。

何が違うかって言うと瞬発力なんですよ。ハッと思ったら抜かれている。追い付けなくって抜かれてる。で、またいいようにやられるとプレー全般に影響したりとか。結構凹みます。

でもですね、いつも考えるわけです。自分はボール蹴りだしてからまだ日は浅い。彼らは10何年やってる。彼らはもう学生のときより上手くなろうとは考えていないだろうけど、俺はまだ上手くなる。全然伸びしろはある。
公園で細かいステップを踏んだり、ジャンプしたり、ターンしたり、人目は気にせず、けど親子連れには場所を譲り、走り疲れて倒れ込み、ときに知人に付き合ってもらってひたすら1対1をやったり。

そのおかげか、単なる慣れなのか、ここ最近は結構抑えられるようになってきたので、走る脚にも一層力が入ります。家の近くに長い階段があるんですが、すれ違う人がドン引きするような形相で駆け抜けます。

  

 真心ブラザーズマイ・バック・ページバーズのが貼れないんですけど…。

 

別に昨日より若くなっているわけではないです。若いときに比べて非常に効率が悪いですが、できなかった動きがちょっとずつできるようになってるんです。

これで練習にもますます熱が入り…と思っていたところ、今朝起きたら左脚の付け根の調子がおかしかったです。コアトレやるようになってから、膝は痛まなくなったんですが、今度はまたどうしたことか…。

歳取ったら無理しちゃいかんですな。でも今朝ユーロのイタリア−ドイツ戦のPK観て、ノイアーも取れないくらいのゴール隅に一直線なボールを蹴れるようになりたいなと、ボール持って出かけました。

将来、オーバー50の大会が開催されるようになれば、きっと輝いてることでしょう。

フリッパーズ・ギター「ゴーイング・ゼロ」を聴き直す

音楽

先日、NHKでやってた「ニッポン戦後サブカルチャー史」を録画で観たんですが、「え?」というような内容でした。「渋谷系」って言葉で括ることが、当時の音楽を語る上で大きな誤りだと思います。

渋谷系」、今ウィキペディアを確認しましたが、あれで大体合ってると思います。要は「渋谷系」は「何かオシャレ」な音楽を指すのに使われた言葉で、使用例としては、「あーなんかこういうの渋谷系っていうんでしょ?」というのが正しい使い方で、それ以外は使えません。

渋谷系」という言葉は、使い始めた人間が、自分にとって興味のない音楽が、当時輸入盤屋、特に洋楽も邦楽も取扱う外資系の大型店が集まっていた渋谷で売れ筋だったのをそう呼んだだけなので、具体的にどういう音楽かという定義がなく、流行りもの十把一絡げ感が大層強いです。当時そう括られてしまったミュージシャンもリスナーも、「げっダセー」と思ったはずで、自ら渋谷系を名乗る人はいませんでした。しかし、売る方は満更でもなかったか、売れりゃどうでも良かったか、この言葉を売り文句として便利に使ったために、新規のリスナーが増えるにつれ、次第に言葉としては定着してしまいました。

そんなことはともかく、90年代初めに、なぜ60〜70年代再評価が起きたのか。音楽は、時代とともに埋もれていった過去のレコードがこの時期一気にCDで再発されて、新譜と並べられて日の目を見たというのはあったかもしれませんが、ビジュアル、ファッションも再評価された理由は、正直良く分かりません。

時代は繰り返すってことなんですかね。まあパンクでいったん否定して、ニューウェイブで頑張ってたけど、やっぱ良いもんは良いな、ぐらいな話でしょうか。ですが、過去に遡ったまま帰れなくなった私のような人間もいて、時代性という新陳代謝が無効になって、情報がオーバーフローしたままネット時代に突入してしまったのは、良かったのか悪かったのか、昨日の流行りは今日の時代遅れの80年代を原点に持つ身としてはいささか複雑です。

 

さて、同じく80年代をルーツに持つ、フリッパーズ・ギターも件の番組で取り上げられていました。インタビューに応えていたのが本人達じゃなくてカジ君だったんですけど、カジ君半ズボンだったんですけど、フリッパーズのことを、時代の空気を絶妙に取り入れていたと嬉しそうに語っていました。

80年代ネオアコを出発点に、過去のロック、ポップスを短時間で吸収していった彼らですが、一番目を配っていたのは同時代のイギリスのインディーズ系のバンドの動向で、3枚目にして最後のスタジオアルバムは、マッドチェスター吹き荒れた当時の音が刻まれています。

こないだ何気なくハッピーマンデイズやスープドラゴンズなんかの動画を見た後に、そのアルバム「ヘッド博士の世界塔」を聴いてみると、ああ一緒だなあと感心しました。もっと60年代な印象があったんですけどね。

フリッパーズは昔大好きで、ラジオ番組も毎回録音して聴いてたくらいだったんですが、今聴くと気恥ずかしいですね。特に一番聴いた2枚目の「カメラトーク」が駄目です。曲は良いからギターは弾くんですが…。そんなことで聴き直すことは殆どない彼らの作品も、「ヘッド博士」に収録されている曲はふと口ずさむことがあります。青臭さを感じる以前に混沌とした作品だったからかもしれません。中でも「ゴーイング・ゼロ」はふと思い出すことが多い曲です。この曲、アルバムの中では地味なんですが、何故でしょう。

 

 フリッパーズ・ギター 「ゴーイング・ゼロ」

 

タックスマン風ベースラインに乗っかった、ワウやトレモロがかかったギターとオルガンは、この頃の音でしたね。ベースとオルガンの演奏が素晴らしくて、もともと歌のメロディは良かったんですが、この演奏があったからこそ印象に残ったのかと今気付きました。

歌詞の内容なんですが、何処へも向うことができず、逃げることもできない閉塞的な状況を、言葉遊びで自嘲的に歌っているんだと思ってました。どうせ何処へも行けないんだから無駄だからみたいな。彼ららしいヒネた歌詞だなくらいに当時は思っていたのが、改めて聴くと、斜に構えているのではなく、ゼロに向かわざるを得なくなってしまった彼らの悲痛な思いそのままなんですね、これ。

アルバム全体がそんなトーンだし、インタビューでもそんなようなこと言ってたにもかかわらず、フリッパーズは真意を見せないようなとこがあって、当時はそうは考えられなかったんですよ。ラジオで解散を知ったときは本当に吃驚しましたから。でもこんなストレートな歌だったから、いつまでも耳に残っていたんですね。地味って書きましたが、ストレートな歌が素晴らしい演奏と相俟った力作だったわけです。

 

フリッパーズ解散後、それぞれの道を歩んでいった2人のことは途中から追わなくなってしまいましたが、小山田君はコーネリアスの3枚目とか、オザケンもアルバム3枚目の頃、「ある光」なんて素晴らしいシングルを出したりと良い時期があって、結局ゼロではなかったではないかと懐かしく思う次第です。

 

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こんなん出てきたぞ!

 

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裏