デビッド・ボウイが死んだ
デビッド・ボウイが死んだ。
その報を知ったとき、思わず立ち止まって声が出た。
意外な衝撃だった。私は彼のアルバムを2枚しか持っていない。
しかし、その1枚には「チェンジズ」が入っていた。
私が彼を知ったのは、レッツダンスの頃だった。
かつてのカリスマが、地上に降りてきて苦労している姿であることは、その過去を知らない洋楽初心者の私にも、なんとなく理解できた。
しかし、そのうちに過去の姿を知り、そして並行して現役ロックミュージシャンであろうとする彼の姿を見るに従い、共感を覚えるようになった。
私が知ったときには、彼はあまり格好良くなかった。過去と比較されていた。それでも過去に戻ることはしなかった。戻りようもなかったと思うが止まることもしなかった。
変わろうとすることが、いかに困難であることか、そしてそれが必然であることか。
頑に自分の世界を守ろうとすることも、それは評価に値する場合もあるだろうが、そうやって閉塞的だった自分が、価値観を変え、新しいものの見方ができるようになったときの開放感は、それ自身エネルギーを生むこととなった。
私は目から鱗が落ちるたびに生きることができるようになった。
自分を変えることは、リスクを孕んでいる。
それでも変わり続けること、価値観を変え続けることが大事なんだということが、デビッド・ボウイの曲とともに、闇雲に生きる自分を支えていたのだと思う。
文化系で完全インドアな自分が走り出し、フットサルを始め、チームを作ったのも、そしてこのブログを始めたのも、彼の曲がどこかで鳴っていたのだと思う。だからきっと衝撃を受けたのだ。