輪島裕介「創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史」を読む
「オギナワー!」
みなさん、演歌は聴きますか?
今回取り上げる本は演歌の本です。なぜに演歌か?それは長谷川町蔵のツイートで見て面白そうだったからです。「演歌は西洋音楽である」ってへええと思って、書名が「創られた日本の心・・・」じゃないですか。興味惹かれました。
まず感想をひとこと。「勉強になった。」
本書は日本の大衆音楽史を、昭和初期のレコード歌謡誕生以前と以後に分け、さらにレコード歌謡を3つの時期に分けて、今でいう「演歌」がどのように生まれてきたかを論じています。
レコード歌謡とは、パッケージして商品として売り出される音楽のことで、流行歌や歌謡曲なんかを指します。まあ商売になるような音楽のことですよ。明治大正のレコードといえば、国内盤だと寄席や芝居といった演目ばかりで、音楽はもっぱら輸入物の西洋音楽だったそうです。(そういえば著作権や不法行為の判例で良く見かける桃中軒雲衛門事件て、この頃の浪曲のレコードだったな…。)
昭和になり、外資系のレコード会社の進出により、アメリカの曲をベースにした国内産の音楽が売り出されるようになります。これが日本のレコード歌謡の始まりなんですが、ここから様々な要素を加えて日本のレコード歌謡は発展していきます。つまり、演歌に限らず、今チャートに入るような日本の音楽は、大方西洋音楽を出発点にしているといえるわけです。日本の心は後から付け加えられたんですね。
すげえ文化的侵略だな、と思いますが、考えてみれば生活様式のかなりの部分が西洋化されたわけで、音楽だけ例外というわけにはいかないでしょう。演歌の元祖的な古賀政男にしても、マンドリン部出身ですからね。西洋の音階を使って日本人の耳になじむものを作っていったわけです。
ちなみに古賀政男の所属した伝統あるマンドリン部の練習を知人が覗き見たところ、完全体育会系で、下級生は先輩におじぎしなきゃいけないんですが、おじぎした反対側にいた先輩から、先輩にケツ向けるとは何事だ!って蹴られてたらしいです。コントの練習してたわけじゃないと思います。20年前の話ですけど。
著者は、レコード会社が作家と歌手を抱える専属制度の時代、GSブームを契機とするフリーランス職業作家時代、そして平成から現在に至るJ-POP時代に分けて音楽的要素と制作スタイルを述べ、「演歌」という言葉を用いなくとも、日本のレコード歌謡史が説明出来ることを示してみせます。
そして、昭和40年代になってようやく「演歌」というジャンルが、当時流行っていた明るい洗練された音楽に対抗するかたちで、浪曲や流しの歌や、ムード歌謡、懐メロ(当時の)といった過去のどんな音楽的要素を用いて作られていったかを仔細に検証していきます。
色んな歌手の色んな曲が登場するんですが、YouTube見ながら読むといいですよ。私演歌に疎くて、伊勢崎町ブルースってこれか!って初めて知って、いやあ勉強になった。
そもそも良く〜ブルースって曲あるけど、どの辺がブルースなんだ?とか、淡谷のり子ってブルースの女王っていうくらいだから本当はブルースの人なんだろ?とか勝手に思ってたんですけどね。音楽的にはブルース関係ないってやっと分かりました。
しかし、アメリカにおける黒人のブルースのような、土着性の音楽として「演歌」を位置付けていこうという政治的な思惑を持った文化人達が出てきたことにより、洋楽風の明るい音楽に対抗し、「演歌」は暗い情念をことさら増幅して表現するものとなります。それが日本の心だというわけですね。そしてそれを、まるで自己パロディのように様式化することで、「演歌」は一般的に知られたジャンルとして確立します。
「演歌」という言葉は、70年代に藤圭子でブレイクして、ぴんからトリオくらいでようやく一般的になります。美空ひばりやサブちゃんや森進一がデビューした頃は演歌といわれてなかったんですよ。
つまり、「演歌」は、後付けで日本の心を表す音楽として、そう呼ばれるようになったわけで、演歌というスタイルがあったわけじゃないんです。まあ音楽のスタイルなんて大概そうかもしれませんが。流行りの音楽とは違う、暗くて懐メロな感じのものを「演歌」と呼ぶようになったんです。
流行っていないものを、なんだかんだ理屈を付けて無理矢理持ち上げる人達についての記述が面白いですが、この本の魅力は、「演歌」をキーワードに、日本のポップス史を振り返ることにあると思います。新書にして350ページ余り、参考文献は約200。古賀政男からクレイジーケンバンドまで、ここではとても紹介しきれない様々な論点から語っています。音楽好きはぜひ。