boofoooohの日記

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「ゼロ・グラビティ」を観る

1日中酒を飲みながらも、とりあえず朝起きたらトレをする無茶な生活を送る正月です。今日はですね、5時前に起きて10キロ走ってから公園でボール蹴ってました。5時台は暗い!いつものコースなんですがね、広い公園の中とか街灯ないとこがあって、マジ怖かったです。DNAに刻まれた暗闇に対する恐怖なんですかね…。

なんで5時台かといいますと、今日は映画を観に行ったんですよ。「ゼロ・グラビティ」。何か評価が異常に高かったんで、これは観に行っとかないとな、と思って、で、混んでると嫌だなと思い、正月でも空いてそうな、かつ朝からやってる映画館探して行ってきたからなんですけどね。その前にトレしとかなきゃと。

でもちょっと警戒し過ぎたらしく、映画館5人しかいませんでした…。

 

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なぜ「ゼロ」?

でですね、感想はまず凄いの一言です。当たり前か。でも観たらそうなるんですよ!あらすじとか特殊効果とかは散々そこらで語られてるんで、改めてここで書く意味はないんで省略して、私が感じたことを。

この映画、設定は宇宙空間に投げ出された2人というかなり特殊なもんですが、ここで問いかけられてるのは、スクリーンに美しく映し出される地球で営まれる生活のことなんじゃないかと。我々が当たり前のように吸収してる酸素、これの枯渇が、映画全編をとおして描かれるんですが、ライアン博士が酸素を求めて(というより酸素不足に振り回されて)苦しむ姿に、観客は、息をすること=生きることの意味を改めて感じるのではないかと。

冒頭のアクシデントでライアンがハアハアいうのが凄く耳につきますよね。あれは「ああもったいない」と思うと同時に、ああいう無駄はやむを得ないことであって、生きるためには、それを踏まえることが必要なことなんじゃないかとも思いました。酸素がどうも足りそうもないことが分かりつつも、マットがライアンに語りかけ、答えを執拗に促すシーン。あれ、極力酸素を消費しないように喋らない方がいいんじゃないかと思ったんですが、あそこで会話を続けて気力を保たせなきゃいけないんですよ。そう、この映画は喋ることの大切さも訴えてました。

それにしてもユーモアと冷静さで勇気を与え続ける、お喋り野郎のマット役のジョージ・クルーニー良かったですね。困ったときに心の中に現れるマット・コワルスキーが欲しいもんです。

素晴らしい臨場感で、途方もなく広がる漆黒の宇宙が描かれ、その中で投げ出される恐怖感をそれこそDNAレベルで感じながら、色々と考えさせられる映画。これはぜひ3Dで観てください。