boofoooohの日記

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詩と科学の交わるところ 高野文子「ドミトリーともきんす」

今、ファラデーの「ロウソクの科学」を読んでいるんですが、昔途中で放り投げたくせに、面白いです。それというのも、高野文子の「ドミトリーともきんす」が大きかったと思います。

 

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「ドミトリーともきんす」高野文子

以前書きました黄色い本(「本を読むということ 高野文子「黄色い本」」)の高野文子のちょっと前の新作です。

手に取ったところ、あまり動きを感じさせない、その代わりにデザイン性の高い絵が目につきます。「うぬう相変わらずオシャレだなあ」と思ったんですが、驚いたことに彼女は、「絵を、気持ちを込めずに描くけいこをしました」とあとがきで述べています。

語り口や画風に独自なスタイルを持ち、読む者を惹き付けてやまない彼女の作品ですが、この作品は、編集者が持っていた自然科学の本に触発され、それらを紹介する目的で描かれたものです。

小説とは違い、自然科学の本の「乾いた涼しい風が吹いてくる」読後感が気に入り、この作品は、漫画を描くときに、まず一番にある自分の気持ちを、「見えないところに仕舞い」、そうやって、紹介する本について「静かに伝える」ことに務めたようです。

んがしかし。科学者たちの言葉は単に紹介されるのではなく、その言葉やそれが指す現象をもとにした、ちょっと不思議な物語となって表れます。そこに登場する朝永振一郎牧野富太郎たちのキャラクターは魅力的に描かれ、それらに対する高野文子の愛情が良く伝わってきます。

 

「ともきんす」の語源にもなっているジョージ・ガモフの「トムキンスの冒険」だけ読んでみたのですが、取扱う分野は相対性理論から原子の構造、DNAからコンピューターまで幅広くカバーしています。科学に興味あるけど話が難しくなるとすぐ寝ちゃう中年のトムキンスさんが、夢の中で宇宙の膨張と収縮を経験したり、自分の身体の中を巡ってDNAを見てきたり、コンピューターと話をしたりするんですが、必ずガイド役がいて、トムキンスはホームズでいうところのワトソン君のような道化回りで読者の代わりとなって、門外漢な質問をしつつ、講釈を受けます。

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ともきんす紹介遅れたのは、トムキンスを読むのに時間が掛かったからです!

 

「ともきんす」のプロローグの元ネタは、膨張する宇宙の中で飛ばされた手帳が再び戻ってくる話です。トムキンスさんは収縮する宇宙の暑さの中でもがき苦しみながら目を覚ましますが。

相対性理論宇宙論のとこは純文系の私にはちょっと難しかったですが、遺伝子や進化論のとこは話が具体的で面白く読めました。

でも高野文子は、そっちの難しい話の方が感じるものがあったんでしょうね。加えてガモフも楽譜付きで宇宙論オペラとかユニークな語り口してるのもこの辺で、量子ビリヤードなんてよく分からんけど、イメージが膨らんで面白かったです。

 

「ともきんす」は、湯川秀樹の「詩と科学」というエッセイを、「朗読」というタイトルでハイライトのように紹介しています。「バラの花の香をかぎ、美しさをたたえる気持ち」と「花の形状をしらべようとする気持ち」の間にはほとんど違いがないにもかかわらず、両者は離れてしまうが、いずれは「行きつく先も同じ」ではないかと湯川秀樹は述べています。

詩であった自分の作品を、ガモフのように科学として描いたときに、どのような世界が見えてくるのか、高野文子は掘り下げていったのだと思います。この「詩と科学」における絵は、まるで細胞のような規則的な配列のコマ割りや人物の描き方をしてるんですが、その規則性に収まらない作者の思いが、これもまた絵として現れていて、未見の方にはとにかく見ていただきたいです。

湯川秀樹のいう科学と詩が交差するところに、この作品があるとしたら、科学はなんという詩心を持っているのでしょう。彼女のいう「見えないところに仕舞」ったはずの気持が、それを全部とは言いませんが、でもすごく魅力的に描いていると思います。