boofoooohの日記

サッカー/音楽/本/大人になってからのフットサル

KIRINJIと堀込泰行を続けて観る

11/21、12/11と、並べると向かい合わせな日付に、元キリンジの方々のライブに行ってきたので、さらっとその話を。

 

11月はKIRINJIでした。待望のニューアルバムが「11」をリアレンジした「EXTRA 11」というかたちで出たため、ちょっとというか、かなり肩透かしをくった感じはしましたが、それでもライブは何の曲やるのかなとワクワクしながらギロッポンに向いました。

そしてその期待に応えるがごとく、中盤で「仔狼のバラッド」をやってくれたので、私としてはこの時点で満足してしまったんですが、多分そんな客は私1人だったでしょうね。まあ序盤に「GOLDEN HARVEST」を派手にかましてから、「自棄っぱちのオプティミスト」を続けたんで、すでに満足度がかなり上がってたのもあるんですけど。会場全体もこれには大盛り上がりでした。

この2曲は、キリンジのアルバムの中でも傑作と称えられる「DODECAGON」の冒頭を飾り、一気に聴き手を引き込む名曲で、3曲目の「柳のように揺れるネクタイの」までが1つの流れのようになっているんですが、さすがに3曲は続けませんでした。私大好きなんですけど。

「柳の〜」をライブで聴いたのは多分「DODECAGON」ツアーのときだけだったと思います。堀込泰行アコースティック・ギター1本で歌いだしたんですが、ギターのストロークがハッとする程上手くて、とてもカッコ良かったのを思い出しました。

さてKIRINJIのライブの話に戻りまして、後半もキリンジ時代の曲やEXTRAスタイルのKIRINJIの曲を高い演奏能力で聴かせ、音楽的な幅広さを感じさせながらも、バンドの意欲が十分伝わってくる熱い演奏に、スタンディングのダルさも吹き飛びました。ただ、ビルボードでアレンジを変えたりしてるのは観てるんで、新曲がそろそろ聴きたいですね。何曲かやりましたけど、うーんアルバムはいつ…。

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 natural foundationのツイッターから拝借

 

そして先日の堀込泰行in a simple way。キリンジからの付き合いの伊藤隆博と2人でのライブです。兄と比べるとちょっと目立たないなあと、仕事してんのかなあと思っていたところの地味な企画に、当初はそんな期待してませんでしたが、いやいや弾き語りはむしろ望むところではなかったかとハタと思い出し、ひょっとすると…と思いつつセンター北という夜中にあまり人のいないところに行ってきたんですが、これがですね、素晴らしかったんですよ。

セットリストは、洋楽カバーが半分くらい。キリンジと馬の骨・ソロが同じくらいずつでした。カバーはトム・ジョーンズ、クイーン、ホール&オーツドアーズイーグルスキャロル・キング…となかなか王道のオールディーズ路線。「ハートに火をつけて」やロイ・オービソンの「プリティ・ウーマン」は面白いアレンジでした。

ギターはエレキ、フォーク、ガット・ギターを取っ替え引っ替えで弾いてましたが、残念ながら音があまり良くなく、ちょっと潰れた感じで、特にガット・ギターの音がひどかったです。ギターよりは歌を聴かせるような演奏だったので、全体の出来には影響しなかったと思いますが。

キーボードの伊藤隆博が大活躍で、トロンボーンまで吹いて、バックサウンドとしては十分でした。肝心の歌は、3曲目あたりでもう良い感じで、5曲目にやった「フェイバリット」はしみじみでしたよ。ああ、この声。洋楽カバーを挟みながら持ち歌をやるんですが、それが良いアクセントになって、改めて曲の良さも伝わります。

「DODECAGON」からは「柳の〜」の次の「アメリカン・クラッカー」でした。これも良かった。キャロル・キングの'so far away'で、ちょっと声が似てるなーなどと思っていたら、続いて「風を撃て」が始まります。

ギターをジャカジャカ鳴らしながら歌うんですが、これが自分の聴きたかったものかもしれません。この曲はギター弾いてるだけで気持ちがいいくらい、コード進行がカッコいいんですよ。良い感じのグルーブに乗って、キーボードも熱く絡んで最高でした。

もちろん、馬の骨の「red light,blue light,yellow light」やソロの曲も良かった。「燃え殻」はギターではなく、キーボードでした。2人にしては凝ったアレンジの曲もありましたが、良い曲を、シンプルに歌い上げるだけでこんなに素晴らしいものになるのかと、大変感動しました。

やっぱり声は大きな武器ですね…。キリンジ時代を思い出して胸が熱くなったのも確かにありますが、力強い歌声を聴いて、安心したというか、これからが楽しみになりました。最後にやったのが「幸せの黄色いリボン」のカバーだったのは、きっと意味があったんでしょう。実に希望を持たせるライブでした。

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どちらも良いライブでした。

 

 

 dawn 'tie a yellow ribbon round the old oak tree'

 

虚言と嫉妬 宮沢賢治「土神と狐」を読む

ご無沙汰してました。忙しかったんですけど、次は音楽かサッカーかと思ってたら良いネタがなくて、ズルズルときてしまいました…。気づいたらまた狐の本です。

 

先日、SNSでは華やかな生活を装っていた女性が、オークション詐欺で捕まった無職の女性なんじゃないかというニュースが話題になりましたね。年収3000万円という触込みで、ブランドバッグやら高いお店やら旅行の写真をアップして人気だったらしいんですが、実際は地方の国立大を卒業して地元に就職し、それから東京に出てきてOLをしていたようです。華やかな生活は、かなり「盛った」もののようでした。

その記事に何気なく辿り着いて興味を持ち、彼女のツイートを見たりするうちに、私の大好きな、ある作品を思い出しました。宮沢賢治の作品です。

 

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宮沢賢治作・大畑いくの画「土神ときつね」 私は全集で読みましたが絵が気に入ったので。

 

樺の木を巡る土神と狐の三角関係の話です。樺の木が女性で、容姿端麗です。土神はワイルドで、ホームレスのおじさんみたいななりをしています。狐はお洒落でインテリで優しいので、樺の木は狐に好意を持っています。それに土神は嫉妬して、じったんばったんしてウォーッと叫びます。

土神いいヤツなんですが、樺の木を怖がらせちゃうくらい、不器用で乱暴者なんですよ。一方、狐は樺の木に、天文学や美学の話をして感心させたり、ハイネの詩集を貸してあげたりします。土神は、外国から取り寄せた望遠鏡が届いたら見せてあげる、なんて話してるのを立ち聞きして、耳を塞いで一目散に駆け出したりします。

ですが、この望遠鏡、狐の嘘なんですよ。狐は思わず見栄を張ってしまったことを後悔するんですが、樺の木を喜ばせるためだと自分を納得させて、嘘をつき続けます。樺の木にさぞや本がいっぱいあるのではと尋ねられ、日本語や英語、ドイツ語のもありますと、答えてしまいます。

で、ある日土神と狐が樺の木のところで鉢合わせたときに、土神は我慢ができなくなって、何が望遠鏡だ美学の本だと狐を追いかけます。狐は逃げますが、自分の穴の手前で追い付かれ、土神にひねり殺されます。

狐の穴に踏み入った土神の見たものは、赤土が固められただけの、なにもない穴でした。狐のレインコートのポケットに入っていたのは、鴨茅の穂が2本だけでした。土神は途方にくれてから、号泣します。

土神と同様に哀れな存在だったのに、土神に殺されてしまう狐に、私はかなり同情しました。見栄を張っていた姿も。(私の実家が貧乏だったからかもしれませんが。)狐は殺されたときに口が曲がり、まるで笑っているかのようで、この暗示的な結末も印象的でしたが、 私は狐の真の姿が明らかになるさまに、(事情はかなり違いますが)ごんぎつねを思い出しました。

 

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カモガヤ フランスのウィキペディアから

 

狐の悲劇は、その何もなかった狐の穴のイメージの強烈さもあって心を揺さぶられましたが、今回の事件はちょっと寂しいというか虚しいというか。ネット上での生活や人格は、それが現実の世界とリンクしなきゃただの幻想ですから、やる方も見る方も、そんなに一生懸命にならなくてもいいんじゃないかなと。たまにはSNSやめて、本でも読みましょう。

 

pretenders 'don't get me wrong'

 

 

リディア・デイヴィス「サミュエル・ジョンソンが怒っている」を読んでその短さについて考える

リディア・デイヴィスの日本では2冊目となる短編集が出ました。1冊目の「ほとんど記憶のない女」から10年振りです。「ほとんど記憶のない女」を読んだのは昨年で(→リディア・デイヴィス「ほとんど記憶のない女」を読む)、以来、彼女のことが気になっていたところ、このタイミング。買えと言われた気がして購入しました。

 

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リディア・デイヴィスの作品は、エッセイとも詩とも取れるような、でもほかに当て嵌まるものがないから自身で「小説」と呼んでいる、独特のスタイルで書かれています。

それはこの短編集でも変わっていませんでした。題材や手法は様々ですが、いかにもリディア・デイヴィスというような作品が並んでいます。

訳者のあとがきに、どのように作品が書かれるのか、作者自身の言葉が載っていて参考になりました。彼女は、「小さな黒いノート」を常に持ち歩いて、そこに身の回りで気になったことを書込み、それが小説へと姿を変えていくそうです。確かに彼女の作品は、メモ書きのようなものもあるんで、ノートに書いたものが、すでに作品になっているケースが結構あるんじゃないでしょうか。

彼女自身が「私は自分の短い小説が、ある種の爆発のように、読み手の頭の中で大きく膨らむものであってほしいと願っているのです」と述べているように、実もあり花もある完成型として提示するのではなく、むしろ種を読者の頭の中に埋め込むような、そんな作品づくりをしているのではないかと思います。

20ページくらいのもあるんですけど、1ページは当たり前で、1行なんてのもあります。このあとがきを読んで、彼女の作品の短さは、優れた短編小説を評価するときに使われる「余計なものを削ぎ落とした…」というような、長い文章を洗練させて、表現が純化された短さではなく、最初からあるべきものとして短いままなんだろうと思いました。

 

二人はもう寝室を別にすることにした。
その夜、彼女は彼を抱きしめる夢を見る。彼はベン・ジョンソンと食事をする夢を見る。

(「ほとんどおしまいー寝室は別」)

 

彼女が最後に比喩を使ったのは、いったいいつのことだろう!

(「祖国を遠く離れて」)

 

私たちは自分たちのことをとても特別だと思っている。ただ、どういうふうに特別なのかがまだわからない。こういうふうにではない、ああいうふうにでもない、じゃあどういうふうに?

(「特別」)

 

これを小説といって納得させる格好良さが彼女の魅力です。しかし、なぜこの短さなのでしょうか。確かに短ければ、読者に想像力を働かせる余地ができます。ですが、私の感じたことは、それとは少々違うのです。

 

彼女の作品を読んでいて思い出したのは、岡真史でした。矢野顕子がいくつか彼の詩に曲をつけたものを歌っているので、それでご存知の方もいるかと思います。

 

矢野顕子「みちでバッタリ」

 

岡真史の「ぼくは12歳」は、彼の詩の手帖に書かれた作品集で、一応詩集とされていますが、詩というより彼の考えや心情をそのまま綴ったかのようなものもあります。そしてどれも短い。そのそっけない短さが、ちょっと似ているなと思ってました。

 

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岡真史「ぼくは12歳」 下の2つは悲しい詩ですが、矢野顕子が歌ったような素晴らしい詩や、思春期真っ盛りな詩もあって、作品全体からは清々しさを感じます。

 

「フーセンが/だんだん/しぼんでく」(「フーセン」)

 

「ひとり/ただくずされるのを/まつだけ」(「ひとり」)

 

岡真史のナイーブさに比べると、リディア・デイヴィスの飄々としたヘンテコさが際立ちます。彼女のヘンテコさは岡真史にはありません。しかし、言葉少なに語られるその作風に、単に長短だけでなく、何か共通するものがあるように思います。

 そっけない短さと書きましたが、2人の作品を読むと、それで終わり?というような、何か取り残された気がします。書き手との距離は縮まらず、その間にある空気の冷ややかさを感じます。

岡真史の作品は、彼が12歳という短い生涯を自ら絶つ前に綴ったものです。それを知ると、作品の背後にある絶望と孤独を感じざるを得ないのですが、同時に、それを数語の言葉で表していることに、彼の毅然とした姿を見ます。彼には数語で足りたのです。

そしてその僅かな言葉は、読み手との間に空間をつくります。それは、単に文章が短いからできるものではありません。その毅然とした姿によりできた空間です。その空間は作品の一部となり、読み手は、この空間も含めて読んでいくことで、書き手の意図を探って行くのです。

 

リディア・デイヴィスは意識的にこうした効果を狙って、短い作品を書いているのかもしれません。読者の頭の中を膨らますために。しかし、やや長めの他の短編においても見られる、理解し合えないことや残酷さといった、自身を含む人間の資質に対する冷ややかな視線は、短い言葉でこそ、生きるのかもしれません。

もっとも、出来の悪い翻訳調のマリー・キュリーの伝記が醸し出す感動を表現できる魅力も、その短さのなかに生きています。いずれにしても、その短さの前に、それを読む者は、しばしたたずむのです。

 

女子とハイプレス

凄い!ラグビーW杯の南アフリカ撃破。心と身体が震えました。録画ですけど。結果知ってましたけど。録画で目頭が熱くなるなんて昨年のアトレティコ・マドリード優勝以来ですよ。

前半目立った、低く出足の速いタックルや集散の速さが素晴らしかったのはもちろんのこと、とにかくミスがなかった。ホントに日本代表かというくらいミスなくボールが繋がってましたね。ほかにも南アフリカスクラムで押し込んだりと目を疑うような場面はありましたが、私にとってまずそこが衝撃でした。

南アフリカは対照的に、肝心なところでミスが目立ってましたよね。あれは予想外の試合展開に焦ってたこともあると思いますが、日本の速いディフェンスがミスを誘発していたんでしょう。

 

ディフェンスの方法は異なりますが、フットサルでも出足の速いプレスは効きます。ここ来ないだろうなってとこに突然行くと、上手いチームでも結構焦ってミスしてくれます。緩急が大事なんですよ。

ま、相手がディフェンスに来るのを待ってるヤなチームもいますがね。取れそうな感じでボール持って。でも、初心者相手には前線からの素早いプレスは効果的で、そっからショートカウンターに繋がる場合は多いです。前回書いたように、最近のチームの方針は堅守速攻なんで、前線からのディフェンスの有効性を改めて考えさせられました。

 そこで、それを実践すべく、県リーグ女子1部のチームと練習をしてきました。やはり技術的にしっかりしているチームとやった方が勉強になりますし、かといってチンチンにはされないくらいのレベル、ということで思い切ってオファーしました。

 

と、いうのはもちろん大嘘で、隣のコートで遊んでいたら、ゲームするのに人数が足りないから一緒にやらないかと声をかけられて、何試合かやっただけです。

我々も人数少なく、というより2人しかいなかったんで、すぐ疲れちゃうもんだから、五郎丸の真似しながらバスケットのゴールにボールを蹴って入れる競争したりしてキャッキャふざけてたんですよ。隣はものすごい真剣に練習してて、多分目障りだったんでしょう。突然近づいてきて、注意されるかと思いきや、一緒にゲームをやらないかとのこと。

そのチームの練習は、コーチの厳しい叱責の声が響き、それにいちいち「ハイ!」で応える世界。たまに「シュート入れる気ないだろ!」みたいなのが飛んできて、「ハ」って言いかけて「イイエ…」ってなってるの聞いてて、うわー怖いとか思ってたんですけどね。思ってたら隣でふざけてんなって感じですが。

子連れのお母さんもいて、エンジョイチームかと思っていたらとんでもない。私が見てたときは、パラレラの動きからのシュートパスの動きを何度も繰り返していて、蹴り方がしっかりしてるのと、スピードもあるんで、どっかのリーグ戦でやってるチームだなとは思ってたんですが。

うろたえているところを、ぜひと言われて押し切られ、混ざってチーム分けしたときに訊いてみたら、県リーグ1部っていうじゃありませんか。中には最近始めたような人もいましたが…。謝って許してもらうかと思いました。

 

で、実際やってみたところ、素人相手で手加減したということもあったと思いますが、意外にプレーできたんですね。こちらは凄い必死だったですけど。怖い声で怒鳴ってたコーチから「楽しくやりましょうね」と優しく声をかけられても、「ハイ!」って応えてました。

敏捷性で敵わない人が何人かいましたが、何とか走力でカバーして、守備はそこそこできました。ただ、パスが普段のタイミングでは出てこなかったので、そこは難しかったですね。攻撃で負担をかけてたようなんで、その分守備で頑張ろうと、試しに高い位置でプレスをかけてみると、意外に上手くいってボール奪ってシュートまでいけたりして、ちょっと嬉しかったです。

前線からのディフェンスの有効性は実感できましたが、しかし疲れました…。走り回ってると疲れてミスが出ちゃうんですよね。1人かわしても次でミスることたびたび。南アフリカ戦みたいにはいきません。ラグビー日本代表のように体力を強化するのは難しいので、いつどこでプレスするというのを決めとくのがいいですね。フラフラになって、その後シュート練習に誘われたんですが、丁重にお断りして、コートを後にしました。

  

paul simon 'diamonds on the soles of her shoes' 南アフリカということで。

 

 そういえば、おかげさまでこのブログは2周年を迎えることができました。1周年のときは錦織ネタで始まってて、変わらんなと、芸がないなと 改めて思い、更新の間隔も空いてきましたが、読んでくれる人は増えてるようなので、頑張ります。今後ともよろしくお願いします。

野音でKIRINJIをちょっと聴く

日比谷野外音楽堂はビルが似合う。ビールも似合うがビルが似合う。仰ぎ見るビルそうさ。私にとって野音といったら緑とビルに囲まれた不思議な空間でした。

初めて体験したのがロス・ロボスのライブだったのが幸運でした。大してファンでもなかったのに、チケットもらったと誘われて、確か予備校生の分際でしたが、まだ日の落ちないうちに(だったと思うけど…)始まった彼らの演奏を、ビールを飲みながら観て聴くのは最高でした。

開放的なステージ、豊かな緑、そして視線を上にするとビルが見え、それがあたかも洒落た舞台装置のように思えました。日比谷公園自体も、学生時代に有楽町で映画を観たあと、パンを買ってボーッとするのにとても良い場所で、お気に入りの場所でした。

そして久々に、今はKIRINJIのメンバーである田村玄一の還暦記念コンサートが開かれた野音に行ってきました。

 

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開演前(念のため)

 

と、ライブの話をする前に、当日はさっき書いたんですけど、陽に灼かれながらフットサルの試合をして、断酒の効能もどこへやら、通り路でやっているのをいいことに、芝公園オクトーバーフェストに寄ってきました。

ビール高かったですねー。500mlで1,600円とか。美味かったけど。汗をボッタボッタたらしながら一杯だけ飲んで野音に向ったんですが、ジュニーニョ・パウリスタのことを書いたときに触れたとおり、私この辺で働いてたんですよ。働いていたビルの真ん前が会場でした。

芝公園も周りはビジネス街ですが緑多い場所で落着いていて、東京タワーから続く道もあって、好きな場所でした。みなと図書館にはお世話になったし。何が言いたかったというと、ビルと広い公園の組み合わせ、嫌いじゃない、ということだけなんですけどね。

 

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おっと撮り忘れるところだったぜ(残骸)

 

ちょっとノスタッルジックな気分を引き摺りながら、缶ビール片手にライブを観ると、意外に田村玄一のソロは少なく、取っ替え引っ替えバンドが出てきます。そしてそのバンドの多くはソロコーナーを設けるとか特に田村玄一を立てることもなく、スチールギターの音もいつもより控えめに、普通に演奏していきます。

楽しみにしていた久々の堀込泰行ですが、演奏自体は悪くなく、ああこの声と思いつつも、4曲だけ、うち1曲ゲストボーカルなんで、調子の上がらぬうちに終わった感じでした。でも燃え殻は良かった。

ほかのバンドも良かったですが、竹中直人が1曲だけやったりしましたが、KIRINJIが出てくると会場の雰囲気が一変します。全員白い服で怪しかったですが。
会場の期待を一身に受け、気合の入った声で「進水式」を歌い出す高樹。弟よりも声が出てるぞ、と思わせつつ、気合入り過ぎたか途中で歌詞がモゴモゴってなったのがご愛嬌。「雲呑ガール」、ゲストを挟んで「真夏のサーガ」と、なかなか良い演奏でしたがもっと聴きたかったなあ。

 

最後は出演者全員で田村玄一の好きなバンドというグレイトフル・デッドの「タッチ・オブ・グレイ」。日本のMTV世代が唯一知ってる曲じゃないでしょうか。メンバーがガイコツになって演奏するMVのやつですね。田村玄一は120歳になってもと冗談で言ってましたが、そんな彼のユーモアが感じられる選曲でした。

田村玄一のことは、キリンジのカントリー調の曲に絡まるスティールギターが大好きなんですが、キリンジ絡みでしか知らなかったんで、サンディが出てきたのは吃驚しました。

ドブロ、スティールパンと多才に楽器を操るくせに、1人目立ちすることなく、バンドの音を大事にする人柄が感じられるステージで、改めてその力量に感動しました。KIRINJIとしても、ぜひ頑張ってもらいたいです。11月のライブ、楽しみですね。

 

リハブで堅守速攻

以前書きました(→酒とバラとフットサルの日々 )が、私、フットサルの試合がある週は飲まないんですが、なければ毎日酒を飲んでしまうんで、リーグから脱退してここ数ヶ月は酒浸りの日々でした。暑いとビールが美味しいですよね。日本酒も冷蔵庫にぶち込んでいつでもかかってこい状態。ダイニングの手に届くところに泡盛を仕込み、予想を覆してワインが必要なときにも対応すべく、近所のスーパーが開いてる時間までに帰宅し、晩メシに何が出ても万全を期していました。

しかし、とうとう先週末にワンデイの大会に出ることとなり、ひさびさに5日間ほど断酒しました。ちょっと飲み過ぎでまずいなあと思っていたので、わりと苦労しないでできて良かったです。ということで今回はフットサルの話です。

 

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というより酒とフットサルを強引に繋げました。

 

前回(→俺はまだ死んでないぜ )までに書いたとおり、私のチームは建て直しのため軽く再編成して、練習→試合のサイクルの中でチームのスタイルを確立し、助っ人に頼ることなく勝てるようにと再出発したところでした。提携チームとの合同練習を2回ほどやったところで、いよいよワンデイの大会に出て腕試し、というか4か月試合していなかったんでリハビリに近いものがあったんですが、真剣勝負をしてきました。

しかし、先週末の土曜日の暑さはリハビリの身にはキツかったですね…。今日の涼しさから思うとこの夏最後の嫌がらせのようでした。

みな身体にキレがなく、精度の欠いたパスは繋がりません。ルーズボールの競り合いもモタモタしていて、「あらっ?」「あらー!」みたいな当人(もちろん私も)達はいたって真面目なんですが、傍から見ているとコントかよ、な場面が続出します。

攻撃の形になるのはカウンターだけになってしまい、結局、直接対決で2回引き分けたチームに余裕で優勝され、2位に甘んじてしまいました。甘んじてと書きましたが、実際はやっとこさでしたけど。

 

何も成長していない…。というか前よりダメじゃないかとネガティブになりましたが、まあ再出発なんてこんなもんかと客観的に思います。助っ人なしはいつ以来ですかね。素のチームでやるとこんなもんだと認識できました。それは私だけでなく、メンバーも思ったでしょうから、練習の必要性を感じてくれたと思います。(まあこれまでも感じてはいたんでしょうが…)

それと、しっかりした守備からのカウンターは、少ない約束事の中でできるので、初心者には有効だなと思いました。我々初心者じゃないですけど、初心者みたいなリハビリチームなんで。

ダイヤ型のフォーメーションであれば、ピヴォがしっかり球の出所を抑えてくれればパスカットの確率は増えるし、押され気味のときには、フリーな相手を作らせず、粘り強くシュートコースを切っていくことで、失点を防ぎつつ、相手の後ろに大きなスペースを作ることができます。

まずはここから。終盤は暑さもあって、相手を離して下がってしまっていたので、これをしっかりできるようにすることが大事だなと気付きました。やがてボールが繋がっていくようにしたいですが、今はこれ。ボールを繋ぐための基礎練習をやりつつ、まずは守備だなと、課題がはっきりして、まあ良かったです。

酒と一緒で、痛い目にあった記憶が残ってるうちに、次に行きたいなと思っています。

 

 amy winehouse 'rehab'

 

james kirk 'rehab' おおそうだ忘れてた。

夏が終わる前に 口ロロ「渚のシンデレラ」

 

まだまだ暑いですけど、もう8月も折り返しなんですね。過ぎ行く夏に、やり残した何かを感じて、何かって何だろうって考えてたら、そうだブログ書いてねえな!って気付いたんで、本当は違う気もしますが、私の大好きな夏の曲を、今を逃すと来年になってしまうんでご紹介します。

 



口ロロは以前もネタにしましたが、デビューして大分経ってから知ったんですけど、初めて聴いたのがこの曲で、一発で好きになりました。

衝撃でした。ポップソングの理想型だと思いました。

曲が良い。歌詞も良い。アレンジも良い。声も良い。そして、ボーカルが絶妙な具合に下手。

最初の歌い出し、「憶えてるよー」のとこですでに音程が不安定なんですが、でもこの曲の魅力はこのボーカルあってのものですよね。演奏は上手いに越したことはないんですが、人の心を掴むのは正確なリズムや音程だけじゃないと、改めて思います。

 

00年代の曲で一番聴いたんじゃないでしょうか。なぜに自分がこの曲に惹かれるのか考えたんですけど、この曲のライブの動画を見たときに気付いたことがあります。

 

 

ボーカルのパートが終わり、エンディングに入った2:00辺りから、この曲の良さを凝縮したような素晴らしい演奏が繰り広げられます。CDだとコーラス入ってるんですけど、インストです。決して上手いわけじゃないにもかかわらず、ポップソングが持っている喜びと切なさの入り混じった感じを、最大限に表現しているんじゃないでしょうか。ビーチボーイズの「恋の夏」のようなって言ったら褒め過ぎかもしれませんが、そうしたポップソングとしての魅力に、この曲と演奏は輝いているんだと思います。

 

ということで、残り短くなった夏を惜しむように聴いてください。

 

 

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口ロロ「fanfale」この曲収録のアルバム。色んなタイプの曲が入ってますが、全編良いです。